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	<title>Rauru Blog</title>
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	<description>Blog by Rauru Block Agents</description>
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		<title>フィンランドのブロードバンド接続権</title>
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		<pubDate>Thu, 15 Oct 2009 08:49:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator>mara</dc:creator>
				<category><![CDATA[Law]]></category>
		<category><![CDATA[Net]]></category>
		<category><![CDATA[broadband]]></category>
		<category><![CDATA[finland]]></category>

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		<description><![CDATA[フィンランドでは1Mbps以上の速度でネット接続する権利を2010年7月までに法制化するらしいんだけど、その権利の具体的な中身について]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://jp.techcrunch.com/archives/20091014applause-for-finland-first-country-to-make-broadband-access-a-legal-right/">TechCrunch</a> とかが伝えてる話だけど、フィンランドの国営放送 YLE が、<q>フィンランドでは1Mbps以上の速度でネット接続する権利を2010年7月までに法制化する</q> と報道したらしい<br />
でもそれだけだと中身がよくわからないので、調べてみた</p>
<p>実はこの話は去年から出ていて、2015年までに100Mbpsで接続する権利を法制化するって話が2008年9月の <a href="http://www.helsinkitimes.fi/htimes/domestic-news/politics/3179.html">Helsinki Times</a> で報じられてる<br />
その記事に出てくる <em>100Mbpsで接続する権利</em> が今回の 1Mbps でも踏襲されてると思うんだけど、それじゃその権利って具体的に何なのって言うと、こんな感じ</p>
<ul>
<li>フィンランド国内で全ての家庭について、家から2,000m以内に100Mbps接続可能なポイントを設ける</li>
<li>ただしあまりに遠隔地過ぎる約2,000世帯はこの例外とする</li>
</ul>
<p>2,000世帯涙目<br />
ラップランドの先の方とかかなあ</p>
<p>でもまあ要は2kmおきにネットカフェを作ればOKって話だよね<br />
1人あたり100Mbpsって話では無さそうだけど、まあそれは仕方ないか</p>
]]></content:encoded>
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		<title>高速道路は無料化すべきか</title>
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		<pubDate>Wed, 15 Jul 2009 09:29:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ultraviolet</dc:creator>
				<category><![CDATA[Japan]]></category>
		<category><![CDATA[Politics]]></category>
		<category><![CDATA[traffic]]></category>

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		<description><![CDATA[日本の道路網は交通量に対して道路容量が絶対的に足りておらず、その点において外国と事情が異なるため、高速道路を無料化するのはまずいのではないか、との仮説]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>高速道路を無料化すべきかどうかは、「○○であるべき」的な倫理的価値観からのべき論よりも、定量的データを元にした制度設計論で判断するのが良いと思う。とか言いつつ今回私もデータ無しで話をするんだが、まあそこは許せ。</p>
<blockquote class="blog"><p><a href="http://shi3z.tumblr.com/post/141802341/1000">shi3z memo</a></p>
<blockquote><p>ホントは、高速道路どこまでいっても１０００円とか価格を低く固定するのは、経済学的にはバカげている。（って経済政策の先生が言ってた！）実際、トラック協会だったか、以前は高速道路料金値下げを主張していた利益団体から、料金が下がって混雑しすぎで逆に儲からなくなったせいか、苦情がきているようだ。この夏はぼくは高速道路を乗らなくていいように飛行機で北海道に行きますｗ<br />
<a href="http://hakase.g.hatena.ne.jp/WASSHOI/20090713/1247473356">部分均衡の最適化は、その結果どうなるかよく考えてやらないといけないよ &#8211; WASSHOIの日記 &#8211; そんな博士の一日</a></p></blockquote>
<p>iPhone のテザリングも同じ話だと思うんだがなあ<br />
(via raurublock)<br />
コモンズの悲劇<br />
(via buru)<br />
(via otsune)<br />
高速道路が未だに全線有料のままのほうがおかしい<br />海外みたいに建設費の回収が終わった道路は無料化すべき<br />土日だけ値下げとか中途半端なことをするから混雑するのであって、全面値下げなら混乱も起きない</p></blockquote>
<p>アメリカ初めとする諸外国では高速道路が無料になっていて久しく、かつ渋滞が日本ほど頻繁には発生していない。この二つの事象を因果関係として結びつけて「無料にした方が渋滞が起きない」と考えたくなるのもわからんでもない。でもそれ、たぶん違うと思うんだがなあ。</p>
<p>データの裏づけなく勝手な想像を書いちゃうけど、私の仮説では、日本の高速道路って(そして一般道も)、交通量と比較して絶対的に道路容量が足りてない。まあ以下のような事情があるし。</p>
<ul>
<li>日本は人口密度が高い</li>
<li>しかも所得水準が高いせいで自家用車の所有率が高い</li>
<li>都市部では地価が高く、郊外では地形が山がちと言った理由から、容量の大きい道路を作りづらい</li>
</ul>
<p>他にも東京だと人の流れや物流のパターンとして単位面積当たりの交通量を増やす要因があるかもしれない。あと国土が細長いってのも国全体の交通量を増やす要因だわな。外国だと(国にもよるけど)そういう制約が緩くて、道路容量が交通量に比べて比較的たっぷりとある。だから外国では渋滞が起きにくい。でも条件の違う日本で外国と同じように高速道路を無料化すると、たぶんハマる。</p>
<p>ここまでの仮説が正しいとすると、これを解決する手としては、以下のどっちかないし両方しか無いよね原理的に。</p>
<ul>
<li>交通量をカバーできるようになるまで道路を増やす</li>
<li>今の道路容量で収まるように交通量を減らす</li>
</ul>
<p>前者を掲げて料金プール制で道路作り続けたのが道路公団だったわけだけど、実態はダメダメぢゃった。それに投資対効果がでかいのはやっぱ後者ぢゃろ。経済学者は投資対効果を重視するので、最初の引用みたいな話になると。</p>
<p>この「金を取って交通量を減らす」っつう考え方は、ロードプライシングと呼ばれて、日本以外の国でも最近出始めてる。</p>
<blockquote class="blog"><p><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%97%E3% 83%A9%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0">ロードプライシング</a> (Wikipedia)<br />
第二次世界大戦後に日本を含め世界中の国や地域で、所得水準の向上により自動車の大衆への普及（モータリゼーション）の爆発的進行に対応して、各国で道路容量の拡大と高速道路網の整備が進められたが、同時に交通事故、大気汚染、騒音などのいわゆる自動車公害が大きな社会問題になってきた。また、道路の新設拡張にも限界が見えて道路容量が頭打ちになったために交通渋滞が慢性化して都市部では悪化する傾向が続いてきた。その結果、供給面の限界に直面した運輸当局は、交通需要を抑制する手段として「ロードプライシング」に注目することになった。本来の有料道路は、道路建設に投下された資金を一定期間内に回収する目的で料金を徴収するが、ロードプライシングの場合は、公害の発生に伴う外部費用を回収する意味合いで課金して、それと同時に公共の利便性を一部犠牲にしながら道路需要を制限する。例えば渋滞の時間帯について、渋滞の比率を計算して、それに比例させたり累進的な比率で道路料金を通行車輌に課金する。例えば渋滞率なるものを設定して、40％の時間帯には400円、80％の時間帯には800 円と課金することにより、渋滞の緩和効果をねらうというものである。特に道路輸送に頼るトラックやタクシーなどの商用車への影響が大きく、実際に本格的なロードプライシング導入に踏み切った都市は、世界でもシンガポール、ノルウェー（オスロ、ベルゲン、トロンハイム）、イギリス（ロンドン）などまだ数ヵ所に留まっているのが実態である（2005年現在）。</p></blockquote>
<p>もちろん「金を取る」以外の解決方法もある。アメリカでも渋滞の起きるほど交通量の多い都市部ではプールレーンの導入で緩和を図ってたりとか。でもいずれにしても、利用者側に何かを諦めてもらうような施策だわな。そういう風に何らかの手を尽くして交通量を削減する工夫って、必要だと思うんだよなー。</p>
<p>てなことを前々から思っているのだけど、「交通量と比較して絶対的に道路容量が足りてない」っつう私の仮説は果たして正しいんかね? データがあれば検証できると思うので、誰かやってみんかね。もし道路容量が足りてるってことなら、無料にした方がいい。<br />
あと「土日だけ値下げとか中途半端なことをするから混雑するのであって全面値下げなら混乱も起きない」てのも、たぶん定量的に検証可能だと思うので、それもお願いしたい。私はダウトだと思うんだが。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>人間を操る猫のゴロゴロ音</title>
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		<pubDate>Tue, 14 Jul 2009 07:03:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ultraviolet</dc:creator>
				<category><![CDATA[Science]]></category>
		<category><![CDATA[cats]]></category>

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		<description><![CDATA[空腹時の猫はゴロゴロ音に高周波成分を混ぜることで飼い主に餌をせがむ]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.flickr.com/photos/raurublock/3634221869/"><img src="http://farm4.static.flickr.com/3409/3634221869_d55577163d_m.jpg" alt="海原雄山くん(子猫)" class="picturebox floatright" /></a> 我が家では5月から猫を飼っております。生後三ヵ月半ほどの雄猫で、名前は海原雄山くん。可愛かろうっ。<br />
それはそれとして、<a href="http://www.scientificamerican.com/blog/60-second-science/post.cfm?id=the-manipulative-meow-cats-learn-to-2009-07-13">Scientific American</a> や <a href="http://www.newscientist.com/article/dn17455-hungry-cats-trick- owners-with-baby-cry-mimicry.html">New Scientist</a> などで猫について興味深い記事が出とります。猫(家猫)にはゴロゴロ言う声の調子で飼い主をコントロールする能力がある、つう説です。</p>
<p>まあコントロールするつっても「次の選挙で幸福実現党に投票しろ」とかいった洗脳ができるわけではないんですが、「猫に餌をあげたくなる」レベルの効果はあるようです。サセックス大の Karen McComb 博士が Current Biology 誌に投稿した論文によると、猫はお腹が空いてくるとゴロゴロ言う声の220-520Hzの高域成分が大きくなるんだそおです。New Scientist のサイトに掲載されてる <a href="http://www.newscientist.com/data/av/audio/article/dn17455 /pepononsolpurr.mp3">普通のゴロゴロ</a> と <a href="http://www.newscientist.com/data/av/audio/article/dn17455 /peposolpurr.mp3">空腹時のゴロゴロ</a> を聞き比べるとわかるんですが、空腹時の方が激しい感じ。鼻息が荒いっつうか。<br />
んで、こっちの空腹時のゴロゴロを聞いた人は、普通のゴロゴロよりも、落ち着かず、あまり快くない気分になってしまうんだそうな。それで飼い主とかだと「猫に餌をあげないと」との考えに至ってしまうと。<br />
興味深いことに、これは猫だけでなく人間の赤ん坊にも見られる性質だそおです。人間の赤ん坊でも、空腹時には300-600Hzの高域成分が大きくなる。赤ん坊的な立場にいる生き物に共通する生存戦略だと見られます。</p>
<p>オハイオ州立大の C. A. Tony Buffington 教授は、この研究について、「動物病院で猫の患畜が何を求めているか察するのに役に立つ」とコメントしています。私も今日帰ったら雄山くんのゴロゴロ音を聞き分けてみねば。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>Wikipedia の報道協定</title>
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		<pubDate>Mon, 29 Jun 2009 09:16:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>duke</dc:creator>
				<category><![CDATA[Media]]></category>
		<category><![CDATA[Wikipedia]]></category>
		<category><![CDATA[censorship]]></category>
		<category><![CDATA[journalism]]></category>

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		<description><![CDATA[New York Times の Rohde 記者の誘拐事件について、Wikipedia でも報道協定による編集の削除が行われていた]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>先週 <a href="http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2613374/4288781">APF</a> などが伝えたニュースだが、昨年秋にアフガニスタンでタリバンに誘拐・監禁されていた New York Times の David Rohde 記者が、脱出して保護されたらしい。<br />
私はこの誘拐されていたという話を全く知らなかったのでどうしたことかと驚いてよく読んでみると、この誘拐事件については New York Times 等マスメディアの間での報道協定により、報道が自粛されていた模様だ。</p>
<p>しかし同じ New York Times の別の記事 <a href="http://www.nytimes.com/2009/06/29/technology/internet/29wiki.html">Keeping News of Kidnapping Off Wikipedia </a> を読んでさらに驚いた。この記事によれば、Rohde 記者誘拐事件について Wikipedia 上でも何度かユーザによる編集として書き込まれたことがあったが、いずれも報道協定によって削除されてきたのだと言う。削除は Jimmy Wales と Wikipedia 管理者達、そしてイギリスの The Times 紙との協力によって行われた、とこの記事では述べている。New York Times の公式スポークスマンから Jimbo に対して直接報道協定の申し入れがあった模様である。</p>
<p>記事中で Jimbo が述べているところによれば、この誘拐事件については他のマスメディアが沈黙していたことから、「信頼できるソースが無い」ということを削除理由として処理されていた様子だ。確かに管理者としても扱いやすい状況だったと言うことだろう。<br />
それでも記事中には管理人とユーザとのやり取りがヒートアップしていく様子が描かれており、興味深い。誘拐事件についての記述に固執するユーザもいたようで、先週 Rohde 記者脱出の報が世界を駆け巡ると、管理人に「ほら見ろ、削除は間違いだったじゃないか」との罵声が管理者に浴びせられたそうだ。Wikipedia 管理者というのも同情されてしかるべき立場かと思う。</p>
<p>この事件は、Web2.0的な市民ジャーナリズムと検閲との関係がなかなか一筋縄ではいかないということを改めて思い起こさせるものだと言える。<acronym title="Consumer Generated Media">CGM</acronym> への報道協定の適用は、いったい誰がどのように判断してどう適用すべきなのだろうか。<a href="http://d.hatena.ne.jp/raurublock/20080609/1213002230">マスメディアはいずれ滅亡するがその後は現在のマスメディアが負っている責任をユーザ1人1人が負わねばならなくなる</a> とは ultraviolet の指摘だが、そのような社会の到来は意外と早いのかもしれない。</p>
<p>参考: <a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%B1%E9%81%93%E5%8D%94%E5%AE%9A">「報道協定」についての Wikipedia 日本語版エントリ</a></p>
]]></content:encoded>
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		<title>著作権とフロンティア</title>
		<link>http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1920</link>
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		<pubDate>Fri, 22 May 2009 06:11:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>duke</dc:creator>
				<category><![CDATA[Law]]></category>
		<category><![CDATA[copyright]]></category>
		<category><![CDATA[Google]]></category>
		<category><![CDATA[History]]></category>
		<category><![CDATA[publishing]]></category>
		<category><![CDATA[US]]></category>

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		<description><![CDATA[アメリカでの著作権の考え方には、フロンティアを早い者勝ちで切り取っていくという思想が色濃く反映されている。そしてそれは Google Book Search についても同じことが言える。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>一年半以上前に <a href="http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1465"> 著作権の歴史</a> と題して、イギリスでの著作権制度がどのような過程を経て成立したかを説明した。いささか時間は経ってしまったが、今回はその続きとして、アメリカで著作権制度がどのような生い立ちをたどったかについて、私の考えを書いてみる。<br />
今さらこのようなエントリを起こす理由だが、巷で話題になっている Google Book Search について、また別の角度から眺める視点として有益ではないかと考えるためだ。</p>
<p>17世紀以降の北米植民地では、イギリスのような出版者ギルドこそ無かったものの、出版業界が発達してくる。その多くはイギリス人著作物の海賊版であり、著作者の保護というものは全く考えられていなかった。そうした中で、書籍出版による利益が出版者に貪られ、アメリカ人著作者には雀の涙のような原稿料しか入らない、という状況が大きくなっていき、やがて植民地政府に対し「著作者の保護」を訴える動きが出てくる。<br />
このような経緯の結果、アメリカでは「圧制者の搾取に対して民衆が自分の財産権を主張する」という視点から著作権が捉えられるようになった。著作権とそこから得られるはずの利益を自然な財産権と見なす考え方である。そしてアメリカ独立宣言からさして間を置かない1790年、まだ独立戦争も終わっていないうちに、<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Copyright_Act_of_1790">最初の著作権法</a> が連邦法として制定された。多くの部分でイギリスのアン法をそのまま踏襲しているが、イギリス法的な産業振興策の側面よりも自然権保護の観点を強く持つと考えられている。.</p>
<p>アメリカ人がこのような「自然権としての財産権」との考え方にいたった背景には、独立戦争のゴタゴタの中にあってドナルドソン対ベケット裁判などの情報がよく伝わらなかったという原因も指摘されているが、もう一つ、「早い者勝ちでフロンティアを切り取って行く」というアメリカ開拓の歴史が大きな役割を果たしたと私は考えている。島国イギリスはゼロサム性が強く、誰かが土地を独占すれば他の人が追い出されるのが当然だった(エンクロージャなど)。しかし開拓初期のアメリカには無限とも思える無人の(つまり先住民だけが住んでいる)土地があり、1人の開拓者が一定範囲の土地を独占しても他にいくらでも土地がある(つまり先住民から収奪すればいい)という状況だった。やがて高利益率の土地は囲いつくされたが、このアメリカ人のメンタリティは変わっておらず、土地以外に早い者勝ちで独占できるようなフロンティアが必要とされている。Second Life のようなサービスが生まれれば皆が飛びつくわけである。以前書いた<a href="http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1031">アメリカ経済にはフロンティアが必要</a>という話と絡む。<br />
アメリカ人は、著作権もフロンティアの一種だと見なしている。想像力さえあればいくらでも新しいものを生み出すことが可能で、それを早い者勝ちで切り取って行く、という考え方が、アメリカ人のメンタリティと良くマッチするのだ。</p>
<p>さて、近年の Google Book Search の動きだが、これを「著作権制度への挑戦」と見る向きが巷では多い。確かに既存の著作権制度と正面からぶつかる動きであることは確かである。しかし同時に私は、上述した「早いもの勝ちでフロンティアを切り取っていく」という考え方、アメリカ的著作権制度の源流に流れるいかにもアメリカ的思想を、この Google Book Search こそが実にストレートな形で継承していると考える。<br />
このため、Google と著作権者との対立も、確かに正面からぶつかってはいるが、底流では両者に共通したものがあり、それほど深刻な対立にはならないだろうと私は踏んでいる。結局のところ「どちらが強いか」という西部開拓時代的な部分で決着されることになり、現時点ではそれが和解条件という形でひとまず落ち着いている。</p>
<p>一方、アメリカ以外の国ではいささか事情が異なる。特に、ゼロサム性の高い島国であるにも関わらず著作権の扱いについてはアメリカ式の財産権的考え方の影響を強く受けている国、不平等条約撤廃のために迂闊にベルヌ条約に加盟してしまった上にプラーゲ対策で作られた著作権仲介業者がそのまま既得権益を拡大するという泥縄式に制度が出来上がってしまった国、つまり日本のことなのだが、そこでは全く異なる事情が存在する。<br />
日本には「早い者勝ちでフロンティアを切り取って行く」という動的な思想は無い。財産権としての著作権は静的なものと受け止められており、静的な社会秩序の中に位置づけられている。Google Book Search のような動きは、新しいフロンティアを切り取るものとは認識されず、静的な秩序を乱すものだと捉えられ、<a href="http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1767">被害者意識に凝り固まった怨嗟の声</a> が上がることになる。干場弓子氏の書いた記事などは、その心理をうまく言い当てている。</p>
<blockquote class="blog"><p>
<a href="http://d21blog.jp/discover/2009/05/post-4977.html">「グーグル和解問題」、どこが問題か？　●干場</a> (ディスカヴァー社長室ブログ)</p>
<p>そうした「実」よりは、そもそも、著作権者に無断でスキャンしてコンテンツを自分の所に事実上、独占的に集積し、そして、売る、ということに、たとえそれが、知の共有という高邁な理想から始まったものだとしても、違和感を感じる、というのがみなの思いじゃないだろうか？　資本とインフラに物言わせて、やったモン勝ち、早いモン勝ちみたいで。
</p></blockquote>
<p>全くその通りなのだが、アメリカ人の考え方に基づけば、もともと書籍出版を含めた創造行為全てが「早いモン勝ち」の上に成り立っているのだ。その点に大きなすれ違いがある。この部分の考え方の違いはかなり深いため、摺り合わせは相当に困難だろうと私は見ている。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
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		<title>コンテンツに付随する価値</title>
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		<pubDate>Tue, 12 May 2009 06:02:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>duke</dc:creator>
				<category><![CDATA[Business]]></category>
		<category><![CDATA[Media]]></category>
		<category><![CDATA[business-model]]></category>
		<category><![CDATA[contents]]></category>
		<category><![CDATA[Creative Commons]]></category>
		<category><![CDATA[p2p]]></category>

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		<description><![CDATA[人々がコンテンツを購入する理由には、コンテンツ自体の価値以外にも、付随する価値として、効用および手間削減という二つの要素がある。フリーなコンテンツの利用促進にはその部分に考慮する必要がある。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>P2Pとかその辺のお話@はてな の <a href="http://d.hatena.ne.jp/heatwave_p2p/20090511/p1">岸さんの言うとおり！既存のコンテンツ産業から搾取するのを止めよう！</a> で Jamendo が勧められているのを読んだ。その主旨には賛成なのだが、それと同時に我々は「何故 Jamendo の音楽がそれほど聴かれていないのか」について考える必要がある。そこに、「コンテンツ」と呼ぶものに我々が実際に何を求めているのかを考える鍵があると私は考えている。そこを考えれば、Jamendo を勧めることが何故必要かも更に深く理解できるはずだ。</p>
<p>以前 <a href="http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1564">コンテンツの終焉</a> というエントリを書いたことがあるが、私は「コンテンツ自体の価値」というものをあまり高く認めていない。我々が金を払ってコンテンツを購入するとき、実はコンテンツそのものに価値を見出して金を払っているというよりも、コンテンツに付随する別のものに価値を見出している方が割合として多い。<br />
今回は、その「コンテンツに付随する別のもの」として、効用と手間の二つを取り上げてみる。</p>
<p>コンテンツの効用とは、コンテンツの入手により消費者が得る満足のことを指すが、必ずしもコンテンツそのものの価値と一致しないことに注意されたい。コンテンツの入手により副次的に得られる満足も含まれるし、むしろそちらの方が大きな満足をもたらすことも少なくない。<br />
コンテンツの副次的効用のうち重要なものは「話題性」である。友人や同僚と会話する上でTVドラマの話題についていくことが必須であるといった場面はよく見かけられる。<br />
ハードコアなファン、特に音楽のジャンルでそのようなファンが多いが、そういったファンの間ではこのような話題性を追いかけて音楽を聴くことが毛嫌いされる風潮も存在している。「純粋に音楽が良いから聴く」ことが当然であり、「話題になっているから聴く/友達を作るために聴く」のは邪道である、との考え方である。実は私もその考え方に賛同しなくもない。しかし現実には後者のような聞き方をする人も少なくない。ハードコアなファンであっても、同好のファン同士では会話がたいへん盛り上がるため、「共通の話題」としての効用は極めて高いと考えられる。<br />
人々がこの「話題」としての効用だけを求めて楽曲コンテンツに金を払うとまで言い切るつもりはないが、現実の音楽産業がこの効用に支えられている部分はかなり大きいと私は見ている。ミリオンセラーを支えているのは間違いなくこの効用だろう。<br />
また、共通の話題を効用として売るビジネスを考えた場合、このビジネスは売る側にとって著作権ビジネスと親和性が高い。良い音楽は Jamendo を初めとして世の中に山のようにあるので、「良い音楽ならどれでも良い」という消費者はどれでも安いコンテンツに移ることができる。ところが共通の話題としての効用を考えると、音楽全体よりも例えばメタルといった狭いジャンルで、ジャンルよりも単一のアーティストで、といったように狭い部分で一致していた方が話題として盛り上がる。このため囲い込みが可能となるのだが、囲い込んだ部分でがっちり金を取るのが著作権ビジネスなのだ。<br />
かように、現実の音楽産業を見た場合、純粋にコンテンツとしての音楽を売っていると言うよりも、話題などの効用を売る、そして大規模なプロモーションなどもその効用を高めるために存在している、という側面が強い。これは他のコンテンツ産業にも共通する性格である。一方現状のコピーフリーなコンテンツは、そのような効用を高める施策がまだまだ弱い。Jamendo が広まらないのも、ネットワーク的効用が小さいから、という理由が大きいと私は見る。</p>
<p>もう一つの「手間」だが、私は「コンテンツ自体に金を払わない消費者でも手間を省くためなら金を払う」と認識している。<br />
良い例が iTunes Store や Kindle だろう。同じコンテンツは手間さえかければネット上から海賊版を拾えるかもしれない。しかしそれには探したり取ってきたり時にはフォーマット変換までしたりと言った手間が必要になる。それが、欲しいときに直に探せてダウンロード購入できてそのまま視聴できる/iPodに入った状態になるなら、そのことに金を払う消費者も多いのだ。普段時給800円で働いている人がコンテンツ入手に15分以上かけるなら、200円払って購入した方が経済的には合理性がある。<br />
そういう意味で私は、iTunes Store や Amazon を、コンテンツ販売業者というより、サービス業者として見なすのが正しいと考えている。彼らはコンテンツ販売で生計を立てているわけではなく、消費者の手間を減らすことで対価を得ているのだ。<br />
音楽や映画などのメディア産業も、もともとはこの「手間を減らす」ことにより対価を得ていた部分が大きかったと私は考えている。ライブでしか聴けなかった音楽演奏をレコードという形で自宅で聞けるようにし、CDによってさらにその手間が減った、など。実はこの部分が近年 CCCD や DRM によっておかしな方向に進みつつあるのだが、これについては後でもう少し詳しく議論する。</p>
<p>上記の二点を踏まえて、コンテンツ産業からの搾取を減らすにはどうしたらよいかを考えてみる。</p>
<p>コンテンツ産業はコンテンツ製作以外に、例えば効用を高めるためのプロモーションに多大な投資を行っている。コンテンツの海賊版はその結果だけを横取りするので、まあ確かに「搾取」と呼ばれても仕方ないかもしれない。私はあくまで「コンテンツ自体に価値など無い」との立場を取るが、その立場を取る場合でも、プロモーション投資へのフリーライダーは確かにフェアで無い行為と感じられる。<br />
ならばそれを整えるべきだろう。ディジタル技術の進歩は情報の複製に巨大資本を不要とした。次はプロモーション投資のような効用を増やす施策に進出し、ここからも巨大資本の必要性を無くして行くべきである。<br />
差し当たっての手としては、「口コミによるプロモーション」が最も手っ取り早く、また Internet の現状にも合っている。したがって、Jamendo を推奨するような blog 記事を書くことは全く正しい。<br />
ただし、巨大資本によるプロモーション投資と blog 等による口コミプロモーションを比較した場合、やはり向き不向きというものがある。現状の口コミプロモーションは「狭く深く」の方向には向くが、マスに薄く広くという広告効果を出しにくい。この点にはまだ改善の余地がある。ただし、Internet というメディア自体の向き不向きもあるので、よく考える必要はある。</p>
<p>それともう一つは、手間を減らすことである。「CDやDVDのパッケージを買ってくる」に比べて、「入手方法を学ぶ」ところから始めなければならないコンテンツは敷居が高いが、これも差し当たっては blog 記事によるプロモーションとセットにして進めることができるだろう。どうやれば簡単に入手できるかという情報を広めるという方法である。<br />
ただ同時に思うのだが、手間を減らす部分は有料サービスとして残しておいた方が良いのではないかと言う気もしている。</p>
<p>効用を高めるためのプロモーションは種まき的な投資だが、手間の削減は実際にマネタイズ可能な収穫過程である。メディア産業が生き残るとしたら、ここか <a href="http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1900">流通制御</a> かしかない、というのが私の持論だ。近年のメディア産業は CCCD や DRM などおかしな方向を迷走しているが、「手間削減が金脈」ということが理解できていないわけでは無く、むしろきっちり金を取りつつ手間も減らすための方策を迷走しながら模索している、というの見方を私は取る。<br />
今のメディア産業は迷走しているが、それでもこの部分の独占に掛ける情熱は強い。The Pirate Bay 裁判もその一環と私は見る。BitTorrent の Tracker である The Pirate Bay は、間接的ながらこの「P2Pの情報の海から自分の欲しいコンテンツを見つけるためのサービス」であり、この将来の飯の種においてメディア産業と真っ向から競うライバルとなる。それも、無料で提供することによってせっかくの飯の種を潰そうとしている、とも取れる。だからこそ、The Pirate Bay 潰しに躍起となる。<br />
メディア産業は The Pirate Bay 潰しに著作権制度という武器を使っているが、彼らの本心は「自分達が権利を持っているコンテンツの違法配布を止める」だけでなく、「自分達がこれから進出しようとしている手間削減ビジネスにおける障害を今のうちに摘み取っておく」ことも同時に狙っている、というのが私の読みだ。<br />
もし CC 的なコピーフリーのコンテンツのみを手間無く検索・ダウンロード・視聴できるサービスができたとしても、メディア産業はそれを喜ばないだろう。特に検索は流通制御とも深く関わる重要な金脈だ。おそらく、FOSS vs Microsoft 以上に熾烈なライバル関係となる。</p>
<p>巨大メディア資本を相手に戦うのも悪いことではない。最終的には巨大メディア資本の敗北が既に決定されている。しかしそこへ至るまでには長く険しい戦いが続く。著作権制度は完全に時代遅れの制度だが、この制度の抜本的改革ないし廃止にはなお数十年の年月がかかるだろう。それなら、完全に巨大メディア資本を包囲して殲滅戦を戦うより、一箇所だけ逃げ道を用意してそこに誘導して和睦に持ち込む方が、楽ではないかと思う。<br />
日経での岸氏のような戯言につきあう必要は無いが、手間削減ビジネスだけはメディア産業にとってマネタイズできる余地を残しておいてあげるべきではないかと私は考えている。コンテンツ自体に価値は無いが、手間の削減なら価値あるサービスになる。メディア産業も雇用の維持などで急には舵を切れない事情があるが、何とか宥めつつ誘導する方法が無いか、私も無い知恵を絞っているところだ。</p>
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		<title>ゲームの面白さ</title>
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		<pubDate>Fri, 08 May 2009 08:59:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ultraviolet</dc:creator>
				<category><![CDATA[Games]]></category>
		<category><![CDATA[cognition]]></category>
		<category><![CDATA[psychology]]></category>

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		<description><![CDATA[ゲームの面白さについて「作業」をサンプルに考察する。ゲームの面白さを掘り下げて考える上では、人間の認知活動全体についての考察が必要。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>西尾さんの <a href="http://d.hatena.ne.jp/nishiohirokazu/20090506/1241631396">ゲームの面白さに関するブレスト</a> に触発されて、久々に <strong>ゲームの面白さ</strong> について考えてみた。</p>
<p>ゲームの面白さについて考察することは私も20年以上昔からやっているのだけれど、これについて考察する人のほとんどって、「自分がゲームしてて面白いと思う箇所」についてひたすら考察を深めていくのは得意だけど、「自分には面白いと思えないが他の人によると面白いらしい箇所」について考察するのは一様に不得手だよね、てのが10年程前から感じていること。それぞれ自分の内側だけを見ての議論になって、水掛け論になりやすい。まあこれはゲームの面白さに限らず「○○の面白さ」という主観を扱う議論になると必ず出てくる問題なんだけど、でもゲームではその点が先鋭化しやすい。私がゲームについての議論から遠ざかった背景には、そういう点への反省も理由の一つにあります。<br />
なんで今回は、羹に懲りて膾を吹くべく、この「自分に面白いと思えない箇所」について分析するに留まらず、さらにあっち側に行っちゃって、「こんなところを面白いと主張する人なんて滅多にいないし、もちろん自分にとっても面白いとは思えないんだけど、しかし行動科学的に考えるにここが面白いという結論にならざるを得ない箇所」について考えてみたいと思います。</p>
<p>今回サンプルとして取り上げるのは、<strong>作業</strong> です。</p>
<p>世の中には作業ゲーと言う言葉があって、一般にはこれってクソゲーを構成する要素の一つと見なされてるようです。<br />
でも思うんだけど、評価の高いゲームでも、作業的側面って意外とあるよね。クロフォード/コスティキャン的分類で言うところのパズルを解く過程でも作業って結構ある。作業的要素があっても、作業自体が楽しければスルーされて良ゲーと呼ばれ、楽しくなかった場合にだけ作業ゲーというレッテルを貼られることになる。RPGのレベル上げでも楽しく作ってあるものはレベル上げ作業自体が楽しいし。作業自体が悪い要素かって言うと、私にはそう思えないんです。</p>
<p>さらに昔RPGのゲームマスターやってた経験から言うと、プレイヤーに作業をさせるのって結構重要なんですよ。意思決定や知的なパズル、あるいは創造的と称されるようなアーティスティックな活動よりも、むしろ単純作業を大目に盛り込んだ方が、プレイヤーの満足度は高くなる。てのが私の実体験から学んだことです。<br />
それが何故かってのは私も完全には理解できてないんですが、どうも「参加感」とでも言うような何かがあって、単純作業ではあっても作業すること自体が「俺ってゲームに参加してる」的な感覚を高めてくれるみたいなんです。<br />
参加感はソロプレイでも重要ですが、多人数でゲームをプレイするときに特に影響が大きくなると認識してます。人がゲームをプレイするときって、ゲームで複雑な精神活動を発揮して楽しむてのも重要なんだけど、どうもその前に「他人と一緒のゲームをプレイしてるんだ」という実感自体が重要なんじゃないかって気がしてる。マズローの欲求段階説に当てはめて言えば、下の方にある所属欲求になるんかな。なのでここではそういうのを便宜的に低次の面白さと呼ぶことにして、もっと複雑なハードコアゲーマー好みの面白さを高次の面白さと呼ぶことにします。</p>
<p>んでさー、こういう「低次のところが実際には効いてくるんだよ」てな話は、私も含めてハードコアなゲーマーにはあまり好かれないんですよ。特にゲームの面白さを論じたがるゲーム論壇(そんなん本当にあるかは知らん)的な人たちには嫌われ易い。高次の面白さは実はあんまり関係無いんだよ的な結論になり易いかんね。でもそれって、イノベーションのジレンマに似た構図があるよね。</p>
<p>さらに言うと、ハードコアなゲーマーが高次の面白さだと認識してるような要素ってのも、実は低次の面白さを無理やり高次のフレームに当てはめて解釈してることが多かったりする。例えば一時期流行った「ゲームは創造的芸術だ」論の大半はそっちだよねえ。ゲームをポストモダンアートとして捉えてとか、つまり ywad.com の人が東浩紀のオタク論壇について言ってるような話。</p>
<blockquote><p>
<a href="http://www.ywad.com/books/1129.html">ywad.com &#8212; 動物化するポストモダン</a><br />
著者のもともとの目的は、仮に世の中の人を「モダン」と「ポストモダン」と「オタク」に分けたとして、「ポストモダン」と「オタク」の類似性を強調し、あるいは後者を前者の流れの中に位置づけることで、「モダン」と「ポストモダン／オタク」の二分法と、「オタク」が「ポストモダン」の正統的な後継者であるというアイデアを、「モダン」の人に納得させることなんだと思われる。なお、上に書いた私の立ち位置は(自分で書いていて恥ずかしいが)「ポストモダン」である。AさんとBさんとCさんがいて、Cさんが、自分がBさんと仲がいいことをAさんに見せつけるためにBさんと手をつないだが、Bさんは困惑しているという図式。
</p></blockquote>
<p>実はホイジンガのホモ・ルーデンスやカイヨワの四分類にも似たようなフレームがあったりせんだろか。どうしてもこういうゲーム論って「ゲームという娯楽の社会的地位を向上させたい」という論者の思いが投影されて、恣意的な議論になりがちだと思う。</p>
<p>まあ私もそういう「高次のゲーム的面白さ」を追及するのが大好きなハードコアゲーマーなので、「どうすれば高次の面白さを深められるか」についてテクニカルな議論を展開するのは大歓迎です。<br />
なんだけど、おそらくゲームの面白さを掘り下げて考える上では、認知心理学的なベースが必要なんじゃないかって気が最近してるんですよ。無意識の部分も含めた人間の認知活動ってのがあって、その氷山の一角が水面上に現れて「ゲームの面白さはここだ」的な議論になる。けど水面下で動いている人間の精神活動を、詳細に把握とまでは言わなくてもベースとして押さえておかないと、実際にゲームを面白くするエンジニアリングとしては機能しないと思う。</p>
<p>例えば「ストーリーテリングが面白い」てのはなんか規定事実のように扱われてるけど、それは何故?<br />
十数年前には「ストーリーテリングが芸術表現だから」みたいな言説が流行ったけど、私はそれ全然信じてなくて、それより「人間の脳にとってストーリーという認知フレームが親和性高いんじゃないか」みたいな認知心理学的な話を掘り下げる方が生産的じゃないかと見てる。</p>
<p>もちろん「認知しやすいゲームが楽しいゲーム」みたいな単純な話に落としこめるわけじゃあないと私も思います。難しいUIを征服するのが楽しいってゲームもあるし。けどその場合でも「自分の上達ぶりが認知できる」ようなメタ認知が重要だったりとか、やっぱり認知心理学に深く関わる話になると思うんですよ。いろいろ突くべきところはあると思う。そういう辺りを何ぞ考えてみんかね。</p>
<p>かく言う私は、先月から塊魂にはまっております。今週の関西旅行では、滋賀の田んぼや清水寺の観光客、神戸の港のクレーンなどを見るたびに、「これがーっと巻き込んだら気持ちいいよね」と妻と言い合っておりました。ちなみに妻は乙女ゲー好きです。</p>
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		<title>著作権による中間業者</title>
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		<pubDate>Tue, 14 Apr 2009 10:08:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>duke</dc:creator>
				<category><![CDATA[Business]]></category>
		<category><![CDATA[Law]]></category>
		<category><![CDATA[Media]]></category>
		<category><![CDATA[content]]></category>
		<category><![CDATA[copyright]]></category>
		<category><![CDATA[monetize]]></category>

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		<description><![CDATA[コンテンツが飽和すると、流通を制御できる中間業者が力を握る。その構図は、新聞社と Google News の関係だけでなく、コンテンツホルダとメディア企業との関係にも見てとることができる。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>POLAR BEAR BLOG の <a href="http://akihitok.typepad.jp/blog/2009/04/google-423f.html">Google はなぜ強力な中間業者なのか？</a> を読んで、本題とは少し違ったことが頭に浮かんだので、今回はそれについて書いてみる。</p>
<p>コンテンツの飽和により中間業者がパワーを握るという話については、2年半ほど前に <a href="http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1391">コンテンツ・パッケージングの台頭</a> という記事の中で言及したことがある。しかし今回は、この中間業者による流通制御というアナロジーを、新聞とGoogleとの関係ではなく、他のものに適用して考えてみてはどうかというアイデアが浮かんだ。何に適用するかと言うと、著作権制度についてである。</p>
<p>著作権というのはコンテンツおよびコンテンツホルダを保護するための制度であると一般に信じられている。もちろん実際そのように運用されている側面もある。しかし、著作権という制度が実はコンテンツホルダではなく中間業者を保護するために使われている、という仮定から出発して世の中を眺めてみてはどうだろう。</p>
<p>これは決して新しい発想ではない。以前 <a href="http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1465">著作権の歴史</a> の中で概説したように、イギリスにおける著作権制度はもともとコンテンツホルダ(書籍の執筆者)ではなく中間業者(印刷出版業者)を保護するために作られた制度である。そして同様の構図は他のコンテンツにも見てとることができる。音楽業界しかり。映画業界しかり。</p>
<p>この視点に立って物事を眺めてみると、著作権制度とはコンテンツの流通を独占的に制御するためのものである、ということが理解できる。映画の頒布権はまさにそのための制度であるが、他のコンテンツにおいても複製や譲渡を制限することにより実質的な流通制御が為されている。コンテンツ生成は<a href="http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1675">クリエイター過剰問題</a>があるためコモディティ化しやすいが、その場合でも中間業者としての映画会社やレコード会社は流通を強力に制御できるため利益を確保できる。</p>
<p>一方、P2Pファイル共有に代表される違法コピーに目を向けてみると、これがまさに既存中間業者による流通制御の独占を破壊するものだとわかる。違法コピーに対してはコンテンツクリエイターよりもレコード会社や映画会社の方が厳しい姿勢を見せているが、その理由も納得が行く。<br />
逆にミュージシャンの中にはレコード会社の方針に反して違法コピーを許容する人もいる。これはレコード会社という中間業者を放逐したい考えなのだと解釈できる。その一方でレコード会社と対決姿勢を貫きつつも違法コピーに対しても厳しい姿勢をとる Prince のような人もいるが、これはレコード会社を駆逐した中間業者を兼任しようとしているのだと考えられるだろう。<br />
また Google News に対しては著作権侵害で訴訟を起こした新聞社もあったが、これなどはまさしく著作権制度の正しい使用法と言えるだろう。</p>
<p>いずれにせよ、コンテンツ生成ではなく流通制御こそが金脈である以上、コンテンツ立国といった政策を掲げようとすればどうしても流通をコントロールするという話にならざるを得ないだろう。そこに著作権政策論議の難しさがある。ultraviolet や mara は <acronym title="Digital Rights Management">DRM</acronym> が大嫌いだが、複製のコントロール権を持ち続けることこそ中間業者がコンテンツをマネタイズする生命線であり、利用者の利便性と本質的に対立する。<br />
それとも、著作権という方法によらずにコンテンツをマネタイズするうまい中間業者的仕組みが何か考えられるだろうか。もしそれが可能なら面白いことになるだろう。ただ、Google は広告という道で生きていくつもりのようだが、私はそれにあまり説得力を感じていない。</p>
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		</item>
		<item>
		<title>rel=canonical</title>
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		<pubDate>Sat, 14 Feb 2009 05:52:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ultraviolet</dc:creator>
				<category><![CDATA[WWW]]></category>
		<category><![CDATA[WordPress]]></category>
		<category><![CDATA[plugin]]></category>
		<category><![CDATA[seo]]></category>
		<category><![CDATA[url]]></category>

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		<description><![CDATA[rel="canonical" ヘッダを出力する WordPress 用 plugin]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>HTMLヘッダ中で rel=&#8221;canonical&#8221; を指定して meta タグを記述することにより、サイト内ファイルの検索エンジンへの重複登録を防ぐことができるようになった、という話を聞いて、WordPress 用 plugin を書いてみました。</p>
<p>元ネタはこれ。</p>
<blockquote class="blog"><p>
<a href="http://blog.fkoji.com/2009/02132157.html">サイト内の重複コンテンツを防ぐ新たな手段、rel=”canonical”が登場</a></p>
<p>「SEOmoz | Canonical URL Tag &#8211; The Most Important Advancement in SEO Practices Since Sitemaps」によると、Google、Yahoo!、Live(Microsoft)の3社から「ページの標準URLを定義」して「サイト内の重複コンテンツを防止する」ための新たな手法が発表されたようです。<br />
その方法とは、ページの head タグ内に次のような link タグを記述するという簡単なもの。</p>
<link rel="canonical" href="http://blog.fkoji.com/" />
この rel=&#8221;canonical&#8221; によって、めんどくさい RewriteRule などを定義することなく、検索エンジンに対して望ましいURLを伝えることができます。
</p></blockquote>
<p>素晴らしい。しかしこれって、検索エンジンよりも Social Bookmark の方で是非とも対応して欲しいな。なんか RSS リーダから読んだとき URL に ?ref=rss とか言う馬鹿げたものをくっつけるせいでブックマークが分散してしまう、つうサイトがなんか世の中には結構あるんだけど、登録時に rel=&#8221;canonical&#8221; で正規化してもらえると嬉しい。</p>
<p>そういうわけで、plugin のコードですが、こんな感じ。</p>
<pre class="code">
< ?php
  /*
   Plugin Name: rel canonical
   Plugin URI: http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1883
   Description: print out rel="canonical" header
   Author: ultraviolet
   Version: 0.1
   Author URI: http://friendfeed.com/raurublock/

   */

class WpRelCanonical {

  function WpRelCanonical() {
    add_action('wp_head', array(&#038;$this, 'action_output_header'));
  }

  function action_output_header() {
    if ( is_single()) {
?>
&lt;meta rel="canonical" href="&lt;?php the_permalink();?&gt;" />
&lt;?php
    }
  }
}

new WpRelCanonical();
?&gt;
</pre>
<p>ほとんど中身が無いのう。まあ単にヘッダを吐くだけぢゃからな。本当は is_single だけでなく archives ページとかも正規化した方がいいと思うんだけど、やり方を思いつかんかった。</p>
<h3>Postedit on 2009/06/18 : </h3>
<p><a href="http://hatena.g.hatena.ne.jp/hatenabookmark/20090618/1245312744">はてなブックマークが rel=&#8221;canonical&#8221; に対応</a> の模様です。ええこっちゃ。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>マスターベーションによる前立腺癌リスク</title>
		<link>http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1876</link>
		<comments>http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1876#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 28 Jan 2009 16:40:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nakanohito</dc:creator>
				<category><![CDATA[Health]]></category>
		<category><![CDATA[cancer]]></category>
		<category><![CDATA[sex]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://wordpress.rauru-block.org/?p=1876</guid>
		<description><![CDATA[20～30代にマスターベーションの頻度の高かった男性は年をとってから前立腺癌にかかりやすいとの研究。ただしどうも我慢すれば前立腺癌を予防できるという話ではない模様。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>イギリスの <a href="http://www.metro.co.uk/news/article.html?Masturbation_linked_to_cancer_in_young_men&#038;in_article_id=504568&#038;in_page_id=34&#038;in_a_source=">Metro</a> など各誌が一斉に、<strong>マスターベーションの回数が多い男性ほど前立腺癌にかかりやすい</strong> というニュースを報じています。これはイギリスでマスターベーションを含む性行為の回数と前立腺癌との相関を調べた研究成果が発表されたことによるようです。これが本当だとすると、この分野では <a href="http://d.hatena.ne.jp/raurublock/20080416/1208355711">マスターベーションの回数が多いほど前立腺癌にかかりにくい</a> との先行研究もあったのですが、それと真っ向から対立するセンセーショナルなニュースですね。</p>
<p>ただし、<a href="http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/7850666.stm">BBC</a> などの記事を読むと、もう少し穏やかと言うか、必ずしもはっきりした研究結果では無いようです。わかっているのは</p>
<ul>
<li>20～30代の間の性交渉またはマスターベーションの頻度と年をとってから前立腺癌になる確率との間に相関がある</li>
<li>50代の性交渉またはマスターベーションの頻度は逆に前立腺癌と負の相関がある、つまりマスターベーションの多い人ほど前立腺癌にかかりにくい</li>
</ul>
<p>ということのようです。</p>
<p>異性との性交渉とマスターベーションは区別されていないように見えます。おそらく性交渉かマスターベーションかを問わず、射精の頻度が重要なのだと推測されます。</p>
<p>また、因果関係の方向についてもわかっていません。仮に性交渉やマスターベーションをするから前立腺癌になる、という因果関係であれば、性交渉やマスターベーションを我慢することによって前立腺癌のリスクを下げられる可能性があります。ただし記事を読む限り、今回の調査を行った研究者はそうは考えていないようです。もともと前立腺癌になりやすい体質の人ほど射精への情熱が高いのではないか(男性ホルモンの量などで)、との読みのようです。その場合、マスターベーションを我慢しても体質が変わるわけではないので、前立腺癌のリスクを減らすことはできないと考えられます。</p>
<p>また、調査手法についても疑問の余地が無いわけでもありません。この研究では、前立腺癌にかかった人とそうでない人に対して、若い頃の性交渉やマスターベーションの回数を思い出してもらってアンケート方式で調査したとのことです。果たして記憶がどこまで正確かと言う点には疑問が残ります。ひょっとしたら、男性ホルモンの量の多い人は「俺も若い頃は凄かったんだよ」と虚勢を張りたがる、という話なのかもしれません。より明快な方法での追試が待たれます。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>コンテンツ格差</title>
		<link>http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1868</link>
		<comments>http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1868#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 26 Jan 2009 09:02:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ultraviolet</dc:creator>
				<category><![CDATA[Business]]></category>
		<category><![CDATA[contents]]></category>
		<category><![CDATA[copyright]]></category>
		<category><![CDATA[Monty Python]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://wordpress.rauru-block.org/?p=1868</guid>
		<description><![CDATA[無料で配って売上が増えたコンテンツもあれば、海賊版が出回って売上が下がるコンテンツもあるが、その格差はどこから来るのか。もともと儲かるコンテンツは一握りしか無い、という仮説を考えてみる。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://d.hatena.ne.jp/case_k/20081228/1230394017">ある権利者側の人間の呟き2 　結局コンテンツに金払うっていうのが定着しない</a> っつう嘆きの声がある一方で、<a href="http://d.hatena.ne.jp/yomoyomo/20090126/montypython">モンティ・パイソンは公式YouTubeチャンネルを開設してDVDの売り上げが23000％増えた！</a> なんてやたらと景気の良い話もある。どうも格差社会が進行中なのは正社員vs派遣社員じゃないらしいですよ。しかしなんでそんな格差が生じちょるのかね?<br />
いろんな理由はあると思うんだけど、ここでは敢えて極論を書いてみたい。<strong>金を稼げるコンテンツなんてものが元来ごく一握りしか無くて、今まではそれが水増しされてただけなのよ</strong> てのはどうだ。</p>
<p>いやすまん。今日はほとんど根拠無く思いつきで書いてる。やー実は結婚の準備ですげー忙しくてさー。今週は招待状の宛名書きとかドレスの試着とかに追われるのよ。ポストのクオリティが下がっても許して。</p>
<p>閑話休題。無料で試聴できた方がCDの売り上げが良くなる、という話は前から言われてて、そういう研究結果もわんさかある。でも実際音楽市場全体の売上が下がってるっつう現実もある。この一見矛盾する状態を綺麗に説明するにはどうしたらええんぢゃろ、と考えてみた結果、こういう仮説が頭にひらめいたわけだ。</p>
<ul>
<li>本当に金を稼げるコンテンツは、無料で試聴などできれば売り上げが上がる</li>
<li>そうでないコンテンツは、無料で試聴とかできると逆に売上が下がる</li>
<li>今の市場に溢れているのは、後者のコンテンツが大半</li>
</ul>
<p>いや、これが絶対正しいと言うつもりは無いよ。ただ、こう仮定するといろんな話を矛盾無く説明できるんぢゃがのう、という話。</p>
<p>もしこの仮説が正しいとすると、それはこういうことだと解釈できるんでないか。<br />
もともと金を稼げるコンテンツなんてものはかなり限定されてた。ほとんどのコンテンツは、微々たるぐらいしか金を稼げない程度のものだった。ところが近代になりメディア産業が興隆するに及んで、本来金を稼げないコンテンツでもいろいろ策を講じて売りつけることで結構無理やり市場というものが作られてきた。著作権で囲い込むとか。そうやって適正水準を超えて売れる状態が人為的に作られ、多数の(本来なら金を稼げないはずの)クリエイターや権利者を養えるようになり、多数の雇用が創出された。<br />
ところがディジタルな複製が簡単に作られてバラ撒かれる時代となり、その囲い込みが解け、市場が適正水準に戻りつつある。一部のコンテンツは逆に売上が増えるけど、全体として水増しされた雇用も元に戻るので、これから大量の失業者も出るぢゃろう。こりゃコンテンツ立国なんてのも厳しいんでないか。<br />
とかそういう。</p>
<p>逆に、この解釈部分で現実に照らしておかしい部分があれば、最初に書いた仮説も信憑性が下がるという話になるかと。どうぢゃろ。とりあえずはやっぱ「実際に海賊版で被害を受けてる朕のコンテンツはダメコンテンツと申すか!」的な怒りの反論が来ますかね?</p>
<p>まあ確かにコンテンツの質だけが全てっつうわけでもないとは私も思います(弱気)。例えば Monty Python が 23000% も伸びた話について言えば、Monty Python というコンテンツが本当に素晴らしい質だというのももちろんだけど、1スケッチ分だけを見てもその面白さが理解でき、かつ DVD で1エピソード通して見るとスケッチ間の連携により全体の面白さがさらに際立つ、っつー頭のいい構成にも原因があろうな。まさに21世紀のYouTube 時代を見越したかのようなコンテンツ。時代に合ってる/合ってないてのはあるかもなー。</p>
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		<title>なぜ日本で起業家が増えないか</title>
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		<pubDate>Tue, 20 Jan 2009 07:41:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator>duke</dc:creator>
				<category><![CDATA[Business]]></category>
		<category><![CDATA[Japan]]></category>
		<category><![CDATA[entrepreneur]]></category>
		<category><![CDATA[psychology]]></category>

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		<description><![CDATA[日本に起業家が少ない理由の一つとして、面倒くさがり屋が多いという点について考察する]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>日本で起業家が少ない理由には様々なものがある。大半は既に <a href="http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090118">日本に起業家が少ない理由</a> や <a href="http://d.hatena.ne.jp/T-norf/20090120/JP7ism">起業家を少なくしている7つの日本的主義</a> などで指摘されているし、ultraviolet も Twitter で <a href="http://favotter.matope.com/status.php?id=1014523061">「○○業は給料が高い」と羨む人は多いが、そこで「そんなに無駄に人件費を払ってるなら俺が新規参入すれば市場競争で圧勝できる」と考えられる人が出てこない国では資本主義は育たない</a> などと呟いている。<br />
それらに加えて、ここでは巷の議論にあまり上らない理由を付け加えたい。それは、<strong>日本人は面倒くさがり屋</strong> という理由である。あるいは、<strong>頑固職人は起業に向かない</strong> とも言い換えられるだろう。</p>
<p>日本人は勤勉だが同時に面倒くさがり屋でもある。決められたこと/やらなければならないことは勤勉にこなす。にも関わらず、面倒な手間を自分でやりたがらず、他人任せにする性質も強い。<br />
この点において日本人と対照的なのがアメリカ人である。勤勉な日本人が他人に任せたがるのに怠惰なアメリカ人が他人任せにしようとしないタスクというものが結構ある。たとえば銀行口座からの自動引き落とし。アメリカ人は公共料金の支払いに毎月自分で小切手を切り、銀行任せにしたがらない。銀行が信用できないという事情もあるのかもしれないが、それより「コントロール権を手離したくない」という感情が強く存在しているようだ。同様に、アメリカ人はサラリーマンでも所得税を確定申告する。80～90年代のアメリカで Quicken や Microsoft Money が売れてPCが普及したのは、確定申告の必要性のためであった。</p>
<p>勤勉だが面倒くさがり屋という一見矛盾する性質は、<a href="http://wordpress.rauru-block.org/index.php/718">頑固職人</a> なのだと考えると納得し易いかもしれない。頑固職人は、自分の専門テリトリー外のことを面倒くさがり、他人任せにしたがる (頑固職人の妻というのはだいたい苦労するものである)。そして多くの日本人には、程度の差はあれ、頑固職人的なメンタリティがある。この場合は、頑固職人を「オタク」と呼び変えても良いだろう。</p>
<p>一方、面倒くさがりでは起業家はつとまらない。あらゆることを自分でやる、あるいは最低でも自分で判断する必要がある。その最初のことが「起業する決断」だろう。頑固職人にとっては、起業しようと決断することからしてまず面倒くさいのだ。そんなことより自分の技を極めることの方が遥かに重要なのだろう。起業よりも敷居の低い決断として転職があるが、日本の大企業には転職する決断すら面倒くさがる職人技術者が大勢いる。<br />
そう、大企業というところは、頑固職人にとって意外と居心地が良いのだ。もちろん組織の中で働く以上様々な不満もある。しかし面倒事を組織の他の人任せにできるという点は大きい。経営上の責任も上部が負ってくれるので、自分は思う存分自分の専門分野に専念できる。不満は他人のせいにして愚痴をこぼしていればいい。<br />
頑固職人の性格を前提とすれば、これも十分合理的な判断だと思う。起業ポルノでは <q>技術的に優秀な人が、合理的に考えて戦略を立ててゴールを目指すと事業になるが、職人として腕を磨くことに注力すると一匹狼として、人知れず活躍しているだけという状態になる</q> として否定的に捉えているが、頑固職人にとっては後者の方が幸福なのだろうと私は睨んでいる。</p>
<p>では、日本で起業を増やすにはどうしたらいいか。<br />
日本国内で起業家を増やすという考え方自体に困難があるような気が私はしている。頑固職人は起業家になりたがらないからだ。起業家無しで起業を増やすという考え方にスイッチした方がおそらくコスト対効果が大きい。頑固職人が起業家にはならないままで起業に関れる、という仕組みを用意するのが得策でないか。例えば、起業家を国外から輸入するというのもアイデアの一つだ。起業と技術者を国際分業するのは比較優位の原理にもかなっていると私は考える。</p>
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		<title>WordPress の拡張性</title>
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		<pubDate>Thu, 15 Jan 2009 07:23:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ultraviolet</dc:creator>
				<category><![CDATA[WordPress]]></category>
		<category><![CDATA[Blog]]></category>
		<category><![CDATA[MovableType]]></category>
		<category><![CDATA[plugin]]></category>

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		<description><![CDATA[WordPress の真価はその plugin の野放図なまでの拡張性にあり、単なる blog を超えた総合 CMS として使われる例が海外では多いが、日本ではそれが必ずしもよく理解されていない]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>なんか日本では <q>WordPress は Blog に特化していて、MovableType は総合的な CMS を目指してる</q> みたいな感じで認識されてるみたいな感じが、たとえば <a href="http://www.flatandtree.com/2009/01/wpmt.html">WPかMTかって、性能の問題だけなんだろうか？</a> あたりを見てるとどうもあるっぽいんですが、2005年に WordPress 1.5 で Rauru Blog を動かし始めてそろそろ4年になる私の感覚はかなり違います。<br />
WordPress こそ、本当に blog なのかすらわからん得体の知れない超あやしいものになってしまったぜよ。MovableType とはまた別のベクトルを向いた総合 CMS を志向してる。</p>
<p>私の捉える WordPress の特徴を一言で言うと、野放図と言っていいほどの plugin 拡張性です。<br />
日本ではそれがあまり理解されてないようで、どっちかつうと <q>初心者でもインストールしてテーマを入れれば簡単に使える blog ソフトウェア</q> みたいに捉えられてますが、それは一面しか見てませんな。plugin の無い WordPress など、メモリの足りない Windows Vista PC のようなもの。</p>
<p>plugin 拡張性がワイルドなのは、MovableType と違って最初から静的生成を切り捨てて動的生成のみのサポートに絞っていたことに起因してると思われます。多くの plugin は、ユーザがアクセスしてきた時点で動き、ダイナミックなレスポンスを生成することができます。SQL のクエリを書き換えることまでできる。これが <a href="http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1686">セキュリティホールの温床 </a> になっていることは前にも書きましたけど、まあ何だってできてしまうわな。静的生成か動的生成かの違いは、単にポスト時の再構築時間の問題ではなく、 plugin によって何を機能拡張できるかに大きく関わってくるんですよ。</p>
<p>あと、plugin まで行かなくても、theme だけでも結構な機能追加ができます。これは WordPress の theme ってやつが単なるテンプレートじゃなくて PHP のコードが直書きされてるれっきとした実行ファイルであることに拠ります。<br />
本当はこれもかなり危険なんですけどね… みんなさー、無料 WordPress テーマ集とかいうエントリがよくはてブで hotentry 入りするけど、そういう出所の不確かな無料 WordPress テーマに潜む危険性ってちゃんと認識してる? MovableType のテンプレートと違って WordPress のテーマにはサーバに感染するマルウェアを仕込ませることができるんだよ? まあそれぐらい何でもできるってことで。</p>
<p>また WordPress は、かなり初期から、Blog の書き手だけでなく読者まで会員としてデータベースに登録することを想定して作られてます。メンバ権限として subscriber てのが昔からあったよね。おそらく、会員登録した人だけコメント可、とかいう使われ方が想定されてたんだとは思いますが、コミュニティサイトとしての性格も備えていた様子。</p>
<p>そんな風なので、theme と plugin を組み合わせることで単なる blog の枠を超えて使われてる例が海外では結構あります。<br />
CNet News がニュースサイト全体の CMS として WordPress を使ってることは有名ぢゃな。これは、Automattic を立ち上げる前の Matt Mullenweg が CNet でサイト構築担当として働いてたためです。<br />
その他の用途としては、<a href="http://publisherblog.automattic.com/">WordPress Publisher Blog</a> が詳しい。WordPress の原型を留めてないようなサイトを多数紹介してます。雑誌サイトだったり(たいてい Magazine テーマを使う)、通販サイトだったり、Q&#038;A投稿サイトだったり、自治体の地域情報提供サイトだったり。<br />
あと Twitter みたいな microblogging を WordPress 上で実現する <a href="http://labs.cybozu.co.jp/blog/akky/archives/2008/01/prologue-wordpress.html">Prologue</a> もあって、わざわざ WordPress 上でやる意味があるんかいと思わんでもないけど、コミュニティサイトの一貫としてデータベース連携があるとひょっとしたら便利なのかもしれん。そうそう、その手の会員データの共有てのもいろいろあって、例えば <a href="http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1509">MediaWiki とかの会員データを WordPress のと同期させる</a> とか。掲示板だと bbPress てのもあるし。</p>
<p>なんですが、そういう機能拡張を、GPL なフリーソフトウェアとして大勢の人が勝手に作ってて、全体としてまとまりが無い、てのが WordPress のもう一つの特徴かと。MovableType なら Six Apart が明確な方向性を打ち出しててそれに沿った拡張がリリースされるわけですが、WordPress はそういう統制が皆無なんです。膨大な数の plugin があるにはあるものの、玉石混交だし、お互いコンフリクトすることも多く、うまく使うための情報もあちこちに散らばってるので、特に日本人にしてみると全貌がさっぱりわからん、てことになりましょう。あと <a href="http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1493">コードがすごく汚い</a> し。<br />
この辺は Matt が WordPress の方針として明言してます。WordPress のコアは極力シンプルなものだけを用意し、それを超える機能拡張はフリーソフトウェアコミュニティに任せる、と。</p>
<p>なんで、冒頭の記事にあった <q>不思議なのは、挑戦しているのが商用ソフトでもあるMTで、オープンソースのWPではないという点です</q> てのは私の感覚とかなり違う。おそらく、新しいところに挑戦してるてことなら WordPress の方が多い。ただそれは、コア開発メンバではなく、フリーソフトウェアコミュニティとして開発が進められてる。WordPress がシェアで MovableType を追い抜いた最大の要因は、そういった開発コミュニティに強くアピールしたからでしょう。4年前のライセンス問題という Six Apart 側の失点もあったし、初心者PHPプログラマでも強力なpluginをできるようなアーキテクチャ(その分セキュリティが犠牲になっている)も大きかったと思う。その辺が、日本ではまだ理解されてないなとは思います。私だってほんの一部しか把握できてないもんな。とりあえずはよ <a href="http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1615">BuddyPress</a> 動かさんと。</p>
<p>ビジネスとして見た場合に WordPress ってどうなんぢゃろうねと思うことはあります。Automattic は去年までに <a href="http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1590">相当な出資を集めた</a> けど、今年はサブプライム問題のあおりを食って厳しいんじゃないかなー。<a href="http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1496">Automattic が何で稼ぐのか</a> って、未だによくわかってない。その点、Six Apart はビジネスとして考えてるっぽく見えますな。そうやって考えたライセンスがユーザに嫌われたりもするけど。</p>
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		<title>Flickr 上のロマンス</title>
		<link>http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1834</link>
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		<pubDate>Wed, 07 Jan 2009 15:32:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>mara</dc:creator>
				<category><![CDATA[Net]]></category>
		<category><![CDATA[flickr]]></category>
		<category><![CDATA[romance]]></category>

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		<description><![CDATA[Flickr 上の片思いの相手を射止める方法について、WIRED Howto Wiki に載ってる記事より]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://d.hatena.ne.jp/raurublock/20090103/1231057266">ultraviolet がなんとか婚約にこぎつけた</a> 記念に、WIRED が去年のバレンタインデー特集で紹介した Wired HowTo Wiki の記事 <a href="http://howto.wired.com/wiki/Turn_Your_Flickr_Crush_Into_Real_Romance">Turn Your Flickr Crush Into Real Romance</a> &#8212; <strong>Flickr 上での片思い相手を射止める方法</strong> を紹介</p>
<h4>Step 1 : 現実的に相手を選ぼう</h4>
<p>うーん、重要な指摘<br />
自分の顔写真(美形)を堂々と掲載してて contact も何百人もいるような、そういう人を相手にするのは分が悪いらしく、まあそうだろうね<br />
でも <q>ダイヤモンドの原石を探せ</q> ってアドバイスも、簡単とは言えなさそうな<br />
ターゲット例として <strong>恥ずかしがり屋の図書館司書</strong> てのも、それはそれで、どうなの<br />
まあ ultraviolet の場合も広い意味でそういう系の相手と言えなくもないと聞いてる</p>
<h4>Step 2 : 写真の枚数を数えよう</h4>
<p>自分と相手で趣味的に共通する写真の枚数を数えると、相性を占うことができる、ていう指摘<br />
なるほどこれはそうかも<br />
ultraviolet の場合は猫写真だったんだよね<br />
あと、写真の枚数が少ない→ネットよりも友達と過ごす時間が長いと思われる、って指摘もあるけど、リア充ってやつ?</p>
<h4>Step 3 : Profile も重要</h4>
<p>相手の Profile を読むのも情報になるけど、自分の Profile をどう書くかも重要、って話<br />
これは <a href="http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1679">Profile の書き方</a> の話と絡むような気もするけど、<strong>写真と関係ある情報だけにとどめる</strong> もしくは <strong>自分のアピールしたいポイントを写真絡みの書き方で書く</strong> って興味深いアドバイスが書かれてる<br />
自分が金持ちだとアピールしたかったら、使ってるカメラとして高価な機種を挙げろ、とか<br />
この辺 ultraviolet は全然だったけど、でも他の変なサービスでさんざん個人情報さらしてたからOKだったのかな</p>
<h4>Step 4 : 魅力的な自分の写真を</h4>
<p><strong>必要ならプロを雇え</strong> とか書いてあるけど、まあお見合い写真だと思えばOKなのかな<br />
ultraviolet の <a href="http://flickr.com/photos/raurublock/2396473792/">牛若丸</a> とか <a href="http://flickr.com/photos/raurublock/2978729130/">新撰組</a> とかもプロの仕事だよね<br />
まあ新撰組のを撮ったのはもう恋人同士になってからだったらしいんだけど、ああいう観光地コスプレって、観光に来たついでに撮っただけですよ、みたいに装いつつプロのメイク付きの状態で綺麗に撮ってもらえるから、便利だと思う<br />
単に立ってるだけの写真じゃなく自分の趣味とかがわかるような写真にしろ、ってアドバイスもあって、<strong>Photoshop を駆使して合成しろ</strong> なんて怖いことも書いてある<br />
そう言えば、前にメレ山さんが何かのブコメで、お出かけを楽しんでるとこの写真がいい、って話を書いてた<br />
特に女性は男性を見るにあたって、この人と一緒にいたら楽しいかな、って視点が重要だからって理由で、確かにそのとおりだと思う</p>
<h4>Step 5 : 趣味を合わせよう</h4>
<p>次は相手の趣味に合わせた写真をポストしろって話<br />
Be shameless. There will be plenty of time for shame later when you&#8217;re actually dating. &#8212; <em>恥なんて意識をかなぐり捨てろ、実際デートする段になったらもっと恥ずかしいことになるんだから</em> って至言だよねえ<br />
<strong>詩が好きな相手だったらボードレールの詩集のショットを載せろ、それで彼女が騙されれば御の字だし、そうでなくても自分の趣味に興味を示してくれたことは嫌じゃないから、どっちにしても勝ちだ</strong>、とか言ってて、たしかに恥の意識が残ってたらできなさそう<br />
でもこの辺、日本人男子は相当に抵抗あるよねきっと<br />
まあ全面的に相手に擦り寄らなくても、そういう姿勢を見せる的なことはやっとくのがいいんだろね</p>
<h4>Step 6 : コンタクトに入れよう</h4>
<p>ここまで準備ができたらいよいよ第一段階の接触<br />
まずは自分の contact に相手を入れる、ただしいきなり friend や family に入れないように、とのアドバイス<br />
言われてみると Flickr の contact / friend / family の区別って、そういう風な段階的に仲良くさせるメカニズムとして上手いかも<br />
でもこの段階ではまだ相手の写真へのコメントはつけないのがいいらしい<br />
相手の参加してるグループがあったら、自分もそこに参加して写真をポストして気づいてもらうとか、そんな感じの間接アプローチで攻めろって</p>
<h4>Step 7 : ストーカーにはならないよう</h4>
<p>まあ重要だよね<br />
Flickr の写真から相手の住所や職場がどこかわかっちゃうことも結構あるけど、くれぐれも行ったりしないように<br />
ところで元記事では Until scientists discover the unified theory of everything, the technology will not exist to convert a stalking expedition into anything resembling romance なんて言い方がされてるけど、統一場理論って無理そうなものの代名詞なの?</p>
<h4>Step 8 : 最初のコメントをつけよう</h4>
<p>Contact になってから最初のコメントをつけるまで数日から数週間空けた方がいい、とのアドバイス<br />
その辺は映画<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/B00005FUAT/raurublog-22">スウィンガーズ</a>を見ろと言ってる<br />
最初のコメントは、完結で、刺激的で、示唆に富んだもので、しかも話題はあくまでその写真に関するもの、あくまでも気まぐれでコメントしたって風情を装いつつ、でもその写真について表層だけでなく深いところまで見ていると分かるようなもの、がいいらしいけど、全部満たすのってちょっと無理じゃない?<br />
例文としては、<strong>このペンキの剥がれかけてる様子が僕の生まれた町を思い出します、いい写真ですね</strong> てのが挙げられてて、なぜ良いかと言うと、向こうから「どちらのお生まれですか?」みたいな質問を引き出せるから、だって<br />
ultraviolet が書いてた <a href="http://d.hatena.ne.jp/raurublock/20081022/1224646428">会話上手の話</a> みたいな話<br />
まあ ultraviolet 本人が会話上手だとは全然思わないんだけど</p>
<h4>Step 9 : 勤勉にコメントをつけよう</h4>
<p>元記事では実際に Flickr で出会って結婚したカップルの体験談が書かれてるんだけど、男性側が一見冷淡っぽいけど勤勉にコメント付け続けたのが決め手だったと<br />
でもたくさんつければいいわけじゃなくて、クレバーで機知に富んでてしかも控え目だったのがよかったらしい<br />
それもなかなか難しそうだよねえ<br />
昔は恋文代筆屋なんて職業もあったそうだけど、コメント代筆業なんてのも出てきたりしないかな<br />
ココロ社あたりの指南で<br />
ultraviolet もこの辺結構うまくやってたっぽい、クレバーかどうかはちょっとあれかもしれないけど</p>
<h4>Step 10 : 実際に会おう</h4>
<p><strong>ここまでを忠実に実践すれば写真とコメントの熱い応酬が続くようになってるはずで、そうなったら二人で会うのも自然な成り行き</strong> って超うさんくさいんだけど<br />
自然に会おうって成り行きにならなかったら、オフ会に自分が参加することにして相手を呼ぼう、ってアドバイス<br />
Flickr にはオフ会開催のためのグループも多数あるらしい<br />
日本だとどうなのかなあ<br />
あと、実際に会ってても進展に時間のかかった ultraviolet のようなケースもあると指摘しておこう</p>
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		</item>
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		<title>iPhone 用手袋</title>
		<link>http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1830</link>
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		<pubDate>Fri, 02 Jan 2009 09:02:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ultraviolet</dc:creator>
				<category><![CDATA[Gadgets]]></category>
		<category><![CDATA[apple]]></category>
		<category><![CDATA[gadget]]></category>
		<category><![CDATA[iphone]]></category>
		<category><![CDATA[patent]]></category>

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		<description><![CDATA[はめたまま使える iPhone 用手袋の特許を Apple が2007年に出願していた]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://media.tumblr.com/W4pGVODuyi85dx9mAPyFzzeGo1_400.png" alt="Apple Patent" class="floatright" />iPhone と言えば「手袋をはめたまま使えない」ことが冬期における重大な弱点として一部で問題になっとりましたが、この問題を解決すべく Apple 本社では着々と研究を進めとった模様です。<a href="http://www.macrumors.com/2009/01/01/apple-researching-gloves-for-use-with-multi-touch-devices/">Mac Rumor</a> によれば、2007年に右図のような特許が出願されてたらしい。</p>
<p>この特許では、手袋の内側と外側に導電性の素材を使う、指先に取り外し可能な蓋を付ける、指先に伸縮可能な穴を開けてタッチするときだけ指先が出るようにする、と言った複数の方法が組み合わせられている模様です。</p>
<p>似たような手法は実は既にサードパーティから iPhone 用手袋として商品化もされてるんですが、Apple からも正規手袋が発売されるんぢゃろか。既存のサードパーティ製手袋が特許侵害として訴えられねば良いが…</p>
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		</item>
		<item>
		<title>プラセボの効きやすさ</title>
		<link>http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1806</link>
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		<pubDate>Wed, 17 Dec 2008 16:53:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nakanohito</dc:creator>
				<category><![CDATA[Health]]></category>
		<category><![CDATA[brain]]></category>
		<category><![CDATA[genetics]]></category>
		<category><![CDATA[medical]]></category>
		<category><![CDATA[placebo]]></category>
		<category><![CDATA[Science]]></category>

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		<description><![CDATA[プラセボの効きやすさについての研究二題。報酬を期待し易い人ほどプラセボも効きやすいという研究と、プラセボの効き易さに関係しているかもしれない遺伝子の話。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ultraviolet は先月から奥歯を治療中で、かなり根本まで激しく削っての治療だったため削ってから詰めるまで痛み止めをほとんど毎日服用していた様子ですが、先週歯を詰める際に麻酔注射を打たれたところ、打たれて数十秒後には痛みが消えて、最近の麻酔は効き目が早いと感心したそうです。ところが10分もしないうちに痛みが戻ってきて、麻酔がそんなに早く切れるわけはないから、あれはプラセボ(偽薬)だったのだろうか、と首を傾げていました。<br />
どちらかと言うと麻酔注射の物理刺激によるゲートコントロール的な何かではないかという気もしますが、ultraviolet がプラセボの効きやすい体質ではないかという気配は私も前々から感じていました。プラセボが疑われる病気については <a href="http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1450">電磁波過敏症</a> や<a href="http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1789">化学物質過敏症</a> の話もこの blog で取り上げていますが、今回はプラセボの効きやすさについての話を書いてみます。</p>
<p>プラセボ効果がどのような作用機序で起きるのか、そもそも本当にプラセボ効果というものが広く存在するのかについては、現在も意見が分かれています。プラセボで病気が治癒するかについては否定的な研究結果もあり、前述の電磁波過敏症や化学物質過敏症についてもまだ100%プラセボと断定されたわけではありません。<br />
ただし鎮痛作用としてプラセボに効果があることは衆目一致するところです。プラセボによる鎮痛作用については、3年前に <a href="http://wordpress.rauru-block.org/index.php/407">偽薬とエンドルフィン</a> というエントリを書きましたが、プラセボによってエンドルフィンやドーパミンなど脳内の神経伝達物質分泌に変化が起きることまで突き止められています。</p>
<p>今日紹介する話の一つ目は、昨年 Scientific American で <a href="http://www.sciam.com/article.cfm?id=placebos-work-best-for-optimists&#038;ref=rss">Expect the Best? Placebos Are for You!</a> と題して紹介されたものですが、楽観的な見方ができるとプラセボの鎮痛作用がよく効く、という研究結果です。<br />
「この薬が効く」と楽観的に信じられればプラセボが効く、という、当たり前と言えば当たり前の話ではあります。ただし、楽観的な見方というのは薬に限らず生活の他の面でも現れる、とした点が特徴でしょうか。被験者には、プラセボが効いたかどうかを調査する一方で、ギャンブルのような報酬を伴うゲームをプレイさせて、その間の脳の活動を fMRI でスキャンしたそうです。<br />
プラセボがよく効いた人の場合、プラセボを投与した状態での脳の様子をPETスキャンで調べたところ、側坐核のドーパミン分泌状況が高くなっていました。また、この人たちのゲーム中の脳の活動では、やはり側坐核のドーパミン分泌が高かったとのことです。<br />
この実験を行ったミシガン大の研究者は、報酬を期待する心理が強いほどプラセボが良く効く、と結論しています。この話からは、以前 duke が書いていた <a href="http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1362">自信過剰な戦争屋</a> の話が思い起こされます。自信過剰な人の方が、プラセボも良く効くのかもしれません。<br />
とは言え、PET や fMRI スキャンがどこまで信頼できるかについては <a href="http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1674">懐疑的な見方</a> もあります。最近では <a href="http://anond.hatelabo.jp/20081203102224">還元主義のfMRI万能論者達の発表が質問攻めと共に叩きのめされる様などはもう たまらない</a> というジョークもありました。この分野については今後更なる深い研究が待たれます。</p>
<p>二つ目に紹介するのは、今月初めに New Scientist で紹介された <a href="http://www.newscientist.com/article/mg20026854.900-first-placebo-gene-discovered.html">First &#8216;placebo gene&#8217; discovered</a> という記事で、プラセボの効き易さと強い相関を持つ遺伝子が発見されたというニュースです。<br />
こちらはスウェーデンのウプサラ大での研究ですが、対人恐怖症の治療としてプラセボを使って実験を行ったものです。8週間の治療と称して偽薬を投与し、治療前と治療後での人前での上がり具合を比較しました。プラセボが良く効いて上がり方が少なくなった人とそうでない人を分けて調査したところ、脳の扁桃体の活動に差が認められ(約3%ですが)、さらに遺伝子的にはトリプトファン・ヒドロキシラーゼ-2と呼ばれる酵素をコードしている遺伝子に差がありました。この遺伝子はセロトニンの合成に関わるもので、いくつかの型があるのですが、プラセボがよく効いた人にはG型と呼ばれる変異型が多かったそうです。よく効いた10人のうち8人はGGホモで、一方よく効かなかった人はG型を一つも持っていなかったとの結果です。<br />
ウプサラ大の Furmark 准教授はこの結果を元に、プラセボの効き易さに関わる遺伝子を世界で初めて発見した、と主張しています。とは言っても、セロトニンはプラセボに限定されず安心感に大きく関わる神経伝達物質であり、G型の遺伝子はプラセボと関係なく単にセロトニンの分泌量が変動しやすくなるというだけのことかもしれません。扁桃体の活動の差が 3%というのも、これが大きいのか小さいのか何とも判断が難しいところです。</p>
<p>このように結果が妥当かについては疑問もありますが、プラセボについてこのように様々な角度から研究が進められているのは良いことかと思います。電磁波過敏症や化学物質過敏症についても、同じような形での研究が行われるべきかもしれません。例えば、何も当てない場合、電磁波のシャム(プラセボ)を当てた場合、本物の電磁波を当てた場合で、脳の状態を比較する、といった研究など、良いのではないでしょうか。それはプラセボだ、と言って話を終わらせるのではなく、今や <em>どんなプラセボか</em> を問うことができる時代になりつつあるのですから。</p>
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		<title>プログラマの物の考え方</title>
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		<pubDate>Wed, 17 Dec 2008 00:05:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ultraviolet</dc:creator>
				<category><![CDATA[Programming]]></category>
		<category><![CDATA[Education]]></category>
		<category><![CDATA[psychology]]></category>

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		<description><![CDATA[考え方さえ正しければそこから常識外れな結果が出てもその方が正しいと考えるような思考様式がプログラマには必要という研究結果]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.boingboing.net/2008/12/12/comfort-with-meaning.html">Boing Boing</a> で見つけた興味深い記事。プログラマと一般人は思考パターンが違うと言われることがよくありますが、それについて調査した研究です。結論を先に書くと、 <strong>考え方さえ一貫していればそこから意味不明な結論が出ても良しとする</strong> ような性質が重要、という研究。</p>
<p>この研究はイギリスのミドルセックス大学の Saeed Dehnadi / Richard Bornat という二人の計算機科学教官によって行われたものなんですが、大学の計算機科学の受講生に学科一日目にテストを行って、このテストってのがまだプログラミングについて何も知らない受講生にはわけわからん内容のテストなんですが、その結果をテストの出来ではなく、テスト答案から読み取れる受講者の思考パターンによって、三つに分けたんだそうな。テストには受講者を惑わせる仕掛けがあって、例えば選択肢から選ぶ形式のテストのときに実は正解は選択肢の中に無くて「その他」を選ばなきゃいけない(雄山の罠)とか。そのときに</p>
<ol>
<li>わけわからんなりに一貫した思考パターンで回答したグループ</li>
<li>思考パターンの一貫性よりも回答が意味あるもののように見えることを優先したグループ</li>
<li>わけわからんから回答を拒否したグループ</li>
</ol>
<p>そしてこの分類結果を後の受講成績と照らし合わせたところ、1のグループが一番成績が良かった、という話です。<br />
この結果から Dehnadi と Bornat は最初に書いたような結論を導いてます。考え方さえ正しければそこから常識外れな結果が出てもその方が正しいと考えるような思考様式。それがプログラマにとって必要な適性だ、とゆうのですね。なるほど分かる気がする。</p>
<p>ただし、Boing Boing についたコメントによれば、違う結果の出た研究もあるそおです。<a href="http://www.cs.toronto.edu/~sme/papers/2008/Lung-ICSE2008.pdf">トロント大の研究チーム</a> がこの研究を追試したところ、うまく再現できなかった。1のグループの平均成績がそんなに良くなかったんだそおな。さらに詳しく分析してみると、どうも1 のグループは成績の良い人と成績の悪い人に二極分化してたとのこと。それもそれで結構興味深い。</p>
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		<title>化学物質過敏症</title>
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		<pubDate>Mon, 08 Dec 2008 02:46:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ultraviolet</dc:creator>
				<category><![CDATA[Health]]></category>
		<category><![CDATA[placebo]]></category>
		<category><![CDATA[Science]]></category>

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		<description><![CDATA[化学物質過敏症をプラセボ対照二重盲試験で検証する研究は何度も行われているが、今のところ「嗅覚過敏によって引き起こされるプラセボである」との結果が出ている。しかしこれを逆に見れば、嗅覚を何とかすることで化学物質過敏症の症状を緩和できるという考え方もできるのでは。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>NATROMの日記の <a href="http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20081206#p1">化学物質過敏症の女性に障害年金支給</a> を読んでて思い出したんですが、化学物質過敏症については、実は名前に反して化学物質そのものよりも臭いの方が原因であるっつう調査結果が複数出てる模様です。英語版Wikipediaから引用してみませう。</p>
<blockquote class="blog"><p>
<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Multiple_chemical_sensitivity">Multiple chemical sensitivity</a></p>
<p>When MCS sufferers have been tested in double-blinded placebo controlled trials, exposure to chemicals has not reproducibly elicited symptoms. In a 1993 study of MCS sufferers, test subjects could not discriminate between their chemical triggers and clean air when an olfactory masker was introduced that eliminated the ability to discriminate on the basis of odor [21]. In a more recent study (2008), a variety of responses including the subjective perception of being exposed to solvents, increases in blood pressure or heart rate, rash, hypoxia, or increased symptom severity were measured following the double-blinded exposure to several solvents. MCS suffers showed no differences in these parameters whether exposed to clean air or solvents [22]. This evidence refutes the hypothesis that MCS is directly related to the effects of chemical exposures. Since MCS sufferers seem to only have symptoms when they perceive exposure to chemicals, it has been proposed that the syndrome is a result of odor hypersensitivity in which individuals have an exaggerated response to scents.[23]</p>
<p>化学物質過敏症のプラセボ対照二重盲試験はこれまでにも行われて来たが、化学物質への曝露によって過敏症の症状を再現できたものは無い。1993年に行われた研究では、被験者の鼻に細工をして臭いを感じ取れなくしたところ、被験者は化学物質の有無を識別できなかった[21]。また2008年の研究では、血圧・脈拍・発汗などの測定まで行っての実験も行われたが、化学物質の曝露による差は無かった[22]。これは、化学物質の曝露が直接症状を引き起こすという仮説を否定する。化学物質過敏症の症状は「化学物質に曝された」と患者が自覚できたときだけ発生するため、この症状を引き起こす原因は化学物質と言うより嗅覚過敏ではないかとの仮説が提唱されている[23]。
</p></blockquote>
<p>要はプラセボだってことぢゃね。<a href="http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1450">電磁波過敏症がプラセボだった</a> ってのと似たような話か。</p>
<p>でもこれって、化学物質過敏症の患者の人には朗報だと思うんすよ。だって、化学物質バリバリの状況でも <strong>臭いさえ感じなきゃ症状がぐっと出にくくなる</strong> んだぜ? その辺を応用したケアが出てきてしかるべきでないかい。障害基礎年金もそういう方向に使われると良いのう。</p>
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		<title>幸福のUカーブ</title>
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		<pubDate>Fri, 05 Dec 2008 19:43:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ultraviolet</dc:creator>
				<category><![CDATA[Science]]></category>
		<category><![CDATA[happiness]]></category>
		<category><![CDATA[psychology]]></category>

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		<description><![CDATA[人間の幸福感は、洋の東西や貧富の差を問わず、40代が最低で、それを過ぎると上昇に転じる]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>極東ブログで <a href="http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/12/6570-208a.html">フランス人は65歳から70歳が人生で一番幸せ</a> って話が出てるのを見て、今年初めぐらいに読んだんだけどほたってた Scientific American の記事を思い出しました。<a href="http://www.sciam.com/podcast/episode.cfm?id=F0B71479-9B56-ABBC-F143700EA7AEB9BF">Life&#8217;s U-Shaped Path of Happiness</a> て記事なんですが、洋の東西を問わず、人間の幸福感てのは40代が最低で、その後は上昇に転じるんだそおです。</p>
<p>60 Second Science コーナーの記事なんで参考文献へのリンクが無くて裏を取るのが面倒っちかったんでほたってあったんですが、Social Science and Medicine っつうジャーナルに掲載された研究が元ネタのようで、アゼルバイジャンからジンバブエまで74カ国に渡って各国の人々を調査したらしい。んで、どこの国でも同じ傾向が見られたんだそうな。<br />
これは、経済的水準とか、結婚生活がうまくいってるかどうかとか、そういうことに関係なく、富める人も貧しい人も、モテも非モテも、40代が最低でそれを過ぎると幸福感が上がる点では共通してるとのこと。</p>
<p>研究者が推測するこの幸福感上昇の原因についてこの記事では短く触れられてるんですが、それによると、人間40代を過ぎてくると現実を受け入れるようになるためじゃないか、だそおです。非現実的な期待を抱かなくなる。自分の得たもので満足できるようになる。なるほどのう。いろいろ示唆に富んだ話ではある。</p>
<p>あと <a href="http://naokomccracken.com/">マクラケン直子</a> さんから <a href="http://twitter.com/raurublock/">Twitter</a> で教えてもらったんですが、育児が一段落すると幸福感が出てくるってのもあるらしいですな。<a href="http://news.bbc.co.uk/1/hi/magazine/3270029.stm">BBCの記事</a> とか。この辺は各論に入るけど、そういういろんなケースの各論も統計的に合わさって、40代の幸福感が最低、て話に寄与してるのかもしんない。</p>
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		<title>葬儀としての死刑</title>
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		<pubDate>Tue, 02 Dec 2008 23:43:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>duke</dc:creator>
				<category><![CDATA[Japan]]></category>
		<category><![CDATA[culture]]></category>
		<category><![CDATA[death]]></category>
		<category><![CDATA[psychology]]></category>

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		<description><![CDATA[情の文化に生きる日本人にとって、死刑制度は「犠牲者の死を感情的に受け入れるための儀式」として働いている]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>5月の秋葉原での通り魔事件の後、犠牲者の遺族について「突然の不幸で割り切れないだろう」との感想をあちこちで目にした。その通りかと思う。<br />
家族や大切な人の死を感情として受け入れるには、時間と手間がかかる。人間の感情メカニズムは、目の前の事実をありのまま受け入れられるほど便利にはできていない。<br />
人の死に際して行われる一連の葬儀儀式は、死を感情として受け入れるためのシステムでもある。通夜、葬式、初七日、四十九日、初盆といったステップを順に踏んでいくことで、少しずつ、大切な人の死と言う事実を感情的にも受け入れていくのだ。</p>
<p>しかし受け入れられなさ度合いにはケースごとの大小がある。例えば、末期癌で余命半年と宣告されてその通り半年後に死んだのであれば、死ぬまでの半年の間に徐々に受け入れる余裕がある(むしろ癌宣告時の方がショックとして大きい)。逆に、誰も死を予想していなかったのに突然不慮の事故で、というケースでは、感情的に受け入れるハードルが高い。<br />
そして最も受け入れがたいのが、殺人の被害者となったケースだろう。そのような場合には、死を感情的に受け入れるために、通常の葬儀だけでは足りず、追加の何かが必要とされる。</p>
<p>この「犠牲者の死を感情的に受け入れるための儀式」として、「殺人犯を死刑にする」ことが必要とされているのではないか、という点に思い当たったので、今回それについて書いてみたい。</p>
<p>殺人事件犠牲者の遺族が殺人犯の死刑を望む感情については、従来「怒り」という形で理解することが多かったように思う。それに対して死刑廃止論者からは「殺人犯を死刑にしても犠牲者は戻ってこない」などの形で「犯人を赦す」的方向の説得が試みられてはきたが、うまくいっているとは言いがたい。<br />
遺族感情に「怒り」もあることは間違い無いが、「犠牲者の死を感情として受け入れる」という観点で見ることも必要かと思う。死を感情として受け入れられていない状態では、赦す赦さない以前の問題である。犠牲者遺族の多くは、受け入れるための儀式として何かを必要としている。そして日本では、加害者を死刑とすることがそのための儀式として使われている。<br />
殺人犯を死刑にしても犠牲者は戻ってこないが、「犠牲者が戻ってこない」という事実を遺族が受け入れるためには死刑が必要、と考えてよいかと思う。加害者を死刑にして初めて、犠牲者が戻ってこないことを感情的にも受け入れることができ、そうしてようやく「加害者を赦そうか」という状態になれる。私はそのように推測している。</p>
<p>では、死刑廃止派が大勢を占めている西欧諸国では、この点はどう解決されているのだろうか。</p>
<p>「メメント・モリ」という言葉が鍵になると私は考えている。<br />
Memento Mori とはラテン語で「死について考えろ」を意味するフレーズである。共和制ローマの凱旋式で、凱旋将軍に対して奴隷が耳元でこのフレーズを呟き続けていたのが発祥とされる。凱旋将軍が民衆の歓声を浴びて増長し過ぎると神の怒りを買うと信じられていたため、「所詮人間であることを忘れるな」と戒める意味でこのフレーズを呟いていたのだ。Mori つまり「死すべき定めにある者」とは人間のことを指した。キリスト教会支配下の中世ヨーロッパではこれが転じて、「現世を生きることよりも死後の復活で神の国に入ることの方が重要」という教義のために使われ、「常に死を意識して生きよ」という形で使われた。絵画で骸骨など死をイメージするモチーフが頻繁に使われたのもそのためである。21世紀の今日、西欧諸国でのキリスト教の影響力は遥かに低下しているが、それでも「死を意識して日々生きる」という感覚は強く残っている。</p>
<p>対して日本人は「日々の中で死を意識する」という感覚がとても弱い。むしろ死について考えることを「縁起でもない」として遠ざけたがる。IT+PLUSの <a href="http://it.nikkei.co.jp/digital/news/index.aspx?n=MMITew000026092008"> 日本のゲームはなぜ「銀髪」の敵キャラが多いのか</a> では「死体を隠す」という話が出ており、養老孟司は例によって身体感などを持ち出して何やら言っているようだが、それは本質から外れた議論で、重要なのはメメント・モリ意識の差の方だろう。また、癌の本人告知に耐えられるかどうかも、この意識の有無が大きく効いてくる。<br />
そのように死を忘れて日々を生きていると、大切な人が不慮の死を遂げた際に「感情的に受け入れられない」と強く感じられるのも仕方ないことだろう。日本人は西欧諸国よりも、受け入れられなさ度合いが高く、より「激しい」儀式を必要とする。<br />
殺人の直接の被害者でない人が死刑廃止議論の際において死刑存続側に回るのも、「もし自分の大切な人が死んだら」ということを想像することに感情的な抵抗があるためだろうと私は見ている。日本人はそういうケースについて冷静に考えることができない。「殺人犯を死刑に!」という怒りの感情に置き換えることによって、「自分の大切な人の死」に真正面から向き合って考えることから逃れようとする。</p>
<p>あるいはこう言い換えることもできるだろう。西欧文化圏では、死について日々考えておくことによって、不慮の死の悲しみに理性的に備える。対して日本人は、殺人犯を死刑にという怒りを向けることによって、不慮の死による悲しみを感情的に上書きする。これは ultraviolet の指摘する <a href="http://d.hatena.ne.jp/raurublock/20081030/1225381963">情の文化</a> ともよく合致する話である。<br />
しかし、情の文化は日本以外の国で通用しない。外国人、特に西欧文化圏の人にとっては、死刑とは理性の欠如と見えてしまう。日本以外に死刑存続で強く非難されているのがアメリカおよび中国という「意の文化」の大国であることも状況が良くない。西欧人にとって死刑とは「圧政的な国家が市民を弾圧する意思」の象徴となっている。市民自身が情として死刑を必要としていることは理解されにくい。西欧人から見れば、そのように情を前面に出して行動すること自体、「市民」にあるまじき振る舞いだからだ。この文化的なギャップを埋めることは簡単でないだろう。</p>
<p>死刑存続・廃止のいずれを支持するかはさておき、死について日常的に考えておくことは21世紀を生きる日本人にとっても有用だろうと私は見ている。 dankogai 氏は <a href="http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51038877.html">犠牲者遺族への補償を</a> と書いていたが、死んでからのケアだけでなく、死ぬ前からそれに備えておくことも重要かと思う。殺人事件によって死ぬ人よりも、それ以外の理由で不慮の死を遂げる人の方が、実際には圧倒的に多い。殺人事件なら犯人を死刑にして、医療事故なら医師を訴えることで感情的な受容の助けにできるかもしれないが、そういう感情のぶつけ先の無い死に方も多いのだ。<br />
あなたの大切な人もいつかは死ぬ。それは、あなたが予想するよりずっと早いかもしれない。<br />
[asa　book]412003576X[/asa]</p>
]]></content:encoded>
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