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Wiki と匿名性

written by mara on

Wiki の生みの親が語る の続きで、Wiki における匿名性について

ネットにおける匿名性について議論される際、二つの問題がごっちゃになってることが多い

  • 実名との一致
  • 追跡可能性

この二つは分けて考えなきゃいけない

実名と一致していなくても追跡可能、というケースもある
昔の NIFTY のように ID が固定の場合や、最近の 2ch だとトリップ付きの固定ハンドルにするなどだと、実名とは一致していないが、特定人物の発言をずっと追跡可能だ
私は、実名と一致してるかどうかは割とどうでもよく、追跡可能性こそ重要だと考えてる

なぜ人類の社会で倫理というものが生まれたかをゲーム理論から考える研究が最近盛んだけど、その初歩的な成果としてしっぺ返し戦略というのがよく知られてる
よく知られた囚人のジレンマでは、利己的にふるまうことが最も利得を大きくする
ところが、繰返し型の囚人のジレンマでは、利己的に振舞うよりもしっぺ返し戦略などの方が利得が大きくなる
つまり、善人と悪人を峻別し、悪人を罰するような戦略を取ることが、自分にとっても良い結果をもたらす
また興味深いことに、しっぺ返し戦略には、単に悪人を罰するだけでなく、改心したと認められれば許す、という条件も加えられてる
人類社会の中で善悪の概念や寛容の美徳といったものが発達してきた理由は、このようなゲーム理論によって説明できそうなのだ

しかしこのしっぺ返し戦略を取れるためには、相手の履歴がわからないといけない
相手が何者か全くわからない状態であれば、また自分が悪さをしてもその履歴を将来誰にも知られずに済むようであれば、しっぺ返し戦略は効果を発揮せず、利己的に振舞う方が得ということになる
2ch のような追跡不可能な匿名環境は、まさにこの状態にある
あの巨大掲示板が罵倒や荒しの温床になってるのも、参加者の自覚や倫理感が足りないのではなく、ゲーム理論的に考えてそうなるのが必然なのだ、と思う

逆に、個人が追跡可能でありさえすれば、実名と一致していなかろうと、コミュニティ内の倫理は促進されるだろう、と私は考えてる

もちろん、状況が不利となったら新しいハンドルを名乗って別人として活動する、みたいなことが許されると、実質的に追跡可能性が失われてしまう
その点は何か対策を考えなければならないだろう
例えば、新しいハンドルに切替えると大きな不利益が発生する、とか

そういうわけで私は、個人を追跡可能な匿名環境がベストだと考えてる
例えば Wikipedia でアカウントを作って記事作成/編集を行なうとかああいうのがいい
各人の過去の contribution も見えるし、talk に面白いことが書き込まれてたりするし、こいつの記事は信頼できるだろうかということも推測できるし

ところが Ward Cunningham は、WikiSym 2005 での講演内容を読む限りでは、完全に追跡不可能な匿名環境を目指しているらしい
正気? と思ったが、一応彼には彼なりの論拠があるようで、個人を追跡できない方がリファクタリングの摩擦を減らすからだそうだ
また、個人毎に信頼度を付与するのではなく、記事単位に信頼度を付与することで、追跡不可能性と信頼度を両立させる、という考え方にも興味を示してる

どうなんだろう
私はやっぱり Cunningham の意見には賛成できないんだけど


4 Responses to “Wiki と匿名性”

  1. pingback from Rauru Blog » Blog Archive » Wiki とコミュニティ

    [...] mara の書いた Wiki と匿名性へのレスポンス。最初はコメントにしようと思ったのだが、少し長くなったので別途記事を起こしてみた。 [...]

  2. pingback from Rauru Blog » Blog Archive » 匿名通知サービス

    [...] 私は基本的にトラッキングできない匿名性に反対の立場だけど、こんな風に情報を伝えなきゃヤバいことになるのに「誰だか知られると困る」という壁に阻まれて伝えられないような場合には、確かにこういう匿名サービスが必要かもしれないと思う [...]

  3. pingback from Rauru Blog » Blog Archive » Andrew Orlowski vs Cory Doctorow

    [...] しかし、Doctorow が「メインストリームメディアよりも Wikipedia の方が透明性がある」と主張しているところを読んで思ったのだが、Wikipedia の透明性を賞賛する人が Wikipedia の匿名性をも擁護するというのが私にはどうにも納得できない。私も透明性は非常に重要だと思うし、だからこそ匿名性を何とかする必要があると考えている。匿名性を撤廃しろとまでは言わないが、accountability はなんとか書き手に意識させたいし、また以前 mara が書いていたようにトラッキング可能性も重要だろう。それができれば、 Wikipedia は今よりさらに素晴らしいメディアになるはずだ。ただ、Wiki というスタイルのままそれが可能かどうか、私には必ずしも確信が持てない。「Wikipedia は百科事典を目指すよりも Wiki であり続けるべき、Wikinews もニュースを目指すよりも Wiki であり続けるべき」とは Nicholas Carr や Mitch Ratcliffe も言っていることで、そちらの方により強い説得力を感じる。 [...]

  4. pingback from Rauru Blog » Blog Archive » 匿名性と accountability

    [...] 昨年秋に ネットにおける匿名性についての私の考え方 を書いた 追跡可能性の方が実名性よりも重要、って考えは今でも変わってない [...]

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