404 Blog Not Found の 君の記事のぶくマは、君のものじゃない を読んで考えてみた。
日本のblog界を見る限り、blogコメントよりもSBMコメントの方がS/Nが高いとの指摘はおそらく正しい。
しかし世界の blogosphere 全体を見渡すと、もっと大きな疑問が沸いてくる。なぜ日本以外ではこの傾向が見られないのか? なぜアメリカの A Lister 達はblogコメントで有益な意見交換ができているのだろうか?
私は以下のように考えている。
SBMコメントは、モノローグには向くが、ディスカッションに向かない。つまり意見の応酬ということが基本的にできない。まず1人1回という発言回数制限がついている。書き換えや追記はできなくもないが、そうするとコメントの文字数制限が厳しく効いて来る。短い語数やタグ芸で端的に自分の考えを表明することはできても、意見の異なる相手と意見交換を重ねて一致点を見出すようなことはほとんど不可能である。
これらの点はそのままblogコメントの長所となる。つまりディスカッションに向いている。ところが、日本人はこれらのblogコメントの長所を生かすことが苦手である。簡単に言えば、日本人はディスカッションが下手なのだ。
それよりも日本人はモノローグを好む。例えば2ちゃんねるという掲示板があるが、あの掲示板は「匿名参加者による集団モノローグによって空気を作り出す/その空気を読んでモノローグを展開する」ことで成立している。
また日本人は、何かを相手に指摘したい場合、直接相手にそれを突きつけるよりも、相手に「察してもらう」よう働きかけることを好む。ノンバーバルなコミュニケーションが使える場では「腹芸」が重要になる。ネットではそのような腹芸が使いにくいが、モノローグならばその代替になる。SBMに書いたモノローグから「察して」くれるような執筆者こそ、よくできた日本人である。
ブックマークにおけるネガティブコメントについては様々な議論があるが、これもコメントを書いている当人にとっては「陰口を叩く」よりも「自分の意見をモノローグとして語っているだけ」との認識の方が強いだろう。よくできた執筆者ならばそこから察するべきなのだ。
あるいは「見て見ぬふりをする」か。それも日本人としての作法である。
このような社会的風土があるため、日本人はblogコメント欄をディスカッションの場としてうまく使いこなすことができず、それよりもSBMコメントでのモノローグが日本的文化に合致したものして受け入れられつつある、との仮説を私は立てている。
これが、Disqus ならば受け入れられるのか という ultraviolet の疑問への私なりの回答にもなる。一部のモヒカン族を除いては受け入れられないだろう。また FriendFeed のコメントも、同様にディスカッションを前提とした形式なので、同じことだろう (逆にアメリカ人にはそこが受けて活用されている)。
そもそも、日本人を無理やりblogコメントへと誘導したところで事態は改善しない。「ディスカッションが苦手」という根本的問題を解決しない限り、単に状況を悪化させるだけ、と私は見る。SBMコメントを日本人なりのネット社会への適応として捉えるべきではなかろうか。
このようなモノローグ文化は、コメント初めとするオンライン上での自分の発言に対する責任感を希薄にさせるという性質も持つ。「誰に読まれるか」ということへの考慮が欠けるのだ。それは当然そうだろう。相手のことを考えながら発言するようでは、それはモノローグではない。相手は、適切に空気を読んで、自分の真意を察するか、さもなくば見て見ぬふりをしてくれるはずである。
そのような心理が根底にあるため、日本人は、「ネット上では誰に読まれているかわからない」ということを理屈でわかっていても、初歩的な間違いを犯し易い。しかしその話はSBMコメントの範囲を超えるので、また稿を改めて書くことにしよう。


May 27th, 2008 at 10:03
gReader Comments…
なるほど。とても解りやすい解説、どうもありがとう!ディスカッション下手とモノローグ。賛成せざるを得ない。(DISQUSからコメントしてみています)…
January 20th, 2009 at 3:09
アルファブロガー・アワード2008…
ä»åã¯ä¾å¹´ã¨éã£ã¦ãæ°ããããã°ã®ä¸ããï¼è¨äºåä½ã§æç¥¨ãè¡ããã¢ã«ãã¡ããã¬ã¼ã»ã¢…
January 20th, 2009 at 21:39
[...] 一人三票までなのだけど、とりあえず二本、思い出して投票したのでご紹介。 モノローグとしてのSBM / Rauru Blog [...]