novtan別館の 「いい話」は思考能力を奪うよね を読んで思い出したこと。
かなり昔、良いストーリーとは読者を良い意味で思考停止させるものである
てことをどこかに書いた記憶があります。どこに書いたんだったかなあ。NIFTYの某フォーラムだったっけ。当時を思い出しながら書いてみる。
英語に Suspension of Disbelief っつう言葉があります。Wikipedia によると、サミュエル・コールリッジが考案した言葉らしい。こんな感じ。
Suspension of disbelief is an aesthetic theory intended to characterize people’s relationships to art. It was coined by the poet and aesthetic philosopher Samuel Taylor Coleridge in 1817. It refers to the willingness of a person to accept as true the premises of a work of fiction, even if they are fantastic or impossible. It also refers to the willingness of the audience to overlook the limitations of a medium, so that these do not interfere with the acceptance of those premises. According to the theory, suspension of disbelief is a quid pro quo: the audience tacitly agrees to provisionally suspend their judgment in exchange for the promise of entertainment.
Suspension of disbelief は、人々が芸術に関わる態度を説明するために作られた美学理論である。この言葉は1817年に、詩人であり美学哲学者でもあったサミュエル・テイラー・コールリッジによって作られた。この語の言わんとしているところは、フィクション作品の前提を、例えそれが空想的・どう見てもありえない事だったりしたとしても、真実として受け入れる態度である。また、メディアの特性から来る限界について見て見ぬ振りをすることも含まれる。この理論によれば、Suspension of Disbelief とは quid pro quo である、つまり、観衆は、エンターティメントを得ることと引き換えに、正誤の判断を一時的にそれとなく放棄するのである。
まさにこの話ぢゃよのう、と。リアリティの話 にも絡むのかもしれん。
この Suspension of Disbelief は、もともと小説のような芸術的作品の鑑賞態度を説明する用語だったわけなんですけど、実際にはニュースとかノンフィクションを受け取るときにも似たような話が適用されてしまいますな。
まあ人類の歴史を眺めてみると、先史時代だとニュースとか歴史とか言ったものも元来口伝の物語として伝えられてきたわけでしょ。部族の歴史は語り部によって伝えられてて、語り部が記憶しやすいようにand/or語り易いようにいろいろ工夫(修正)が加えられてて、例えば神話なんてそうやって出来た部分が大きいわな。そういう文化と、人類の脳の構造が、共進化してきて、今の人類の認知心理学的特性ができあがってる、と。
塩野七生の ローマ人の物語 って、この本自体 suspension of disbelief を必要とする本ですが、その中でカエサルの言葉として繰り返し引用されている「人は自分が信じたい事実を信じる」て話なんかも suspension of disbelief 深く関係してるような気がする。ちなみに私はこのカエサルの言葉が大好きで、ラテン語の原文を .signature につけたいとか思ってるんですが、ラテン語で何て言うか知ってる人いません?
事実を伝える場合でも、この suspension of disbelief があると説明が楽になる、って話もあります。複雑な状況を捨象してエッセンスだけを理解してもらう、ってやつね。人間の脳ってストーリー仕立ての物事は理解しやすいので、本題となるストーリーにだけ集中してその中のメッセージを汲み取ってもらう工夫。
問題は、何がエッセンスなのか、本当に伝えなきゃならないのはメッセージは何なのか、てのが人によって異なる点だな。例えば 鏡の法則 において読者が本当に理解しなきゃらない点はどこぢゃろな。語り手によって捨象された部分こそが実は一番大事なのかもしれん。しかし「本当に重要なのはこっちだろ」とか言うと、他の人からは「揚げ足取り」と見られるやも。
逆に、suspension of disbelief と対極を為す概念てのもあるんじゃないかと思います。いや、どんな概念かって言われるとちょっと説明しづらいんだけど、いろんな考えがインスパイアされるポスト、ってあるじゃないですか。語り手の用意したストーリーに読者を誘導するんじゃなくて、読者が自分なりのアイデアを展開したくなるような話。
ブックマークされやすいのは suspension of disbelief のあるポストで、トラックバックされやすいのはインスパイアするようなポスト。って区分けもちょっと恣意的か。この辺は suspension of disbelief を持ってお読みください。まあそんな感じで一つ。


January 8th, 2008 at 18:41
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