小飼弾氏が赤木智弘氏を嗤える本当の理由 で小飼弾氏に噛み付いた佐藤秀氏が いいかげんにしろ佐藤秀 で返り討ちに遭っている。コメント欄は 炎上戦隊ボウボウジャー が現れてもおかしく無さそうな状況だが、404 Blog Not Found での佐藤秀氏自身のコメントに目を惹かれた。
こういう呼び捨てされる覚えないので、訂正されない限りスルーします。
海原雄山の名セリフ「よくもこんな器をこの海原雄山の前に出したなっ!」が思い出される。2ちゃんねるにおける「釣りでした」宣言同様、実質的な敗北宣言と見なせようか。
しかし、これを見ているうちに思ったのだが、このような「実質的な敗北宣言」というものが、blog 上での議論における儀礼として、今後必要になってくるのかもしれない。
私の考える「実質的な敗北宣言」儀礼は、以下のような形を想定している。
- 敗北宣言の文面自体は、自分の敗北を認めていない
- ゆえに敗北宣言する側の面子はある程度保たれる
- しかし実質的な敗北宣言であることは、その場にいる全員に明らか
- 敗北宣言を受けた側は、もうそれ以上追求しない
- 傍観者も、敗北宣言を出した側に対しては、もうそれ以上突っ込まない
この「敗北宣言する側の面子が保たれる」ことは、人間同士の社会が機能的に回っていくためにかなり重要である。そしてお互いの面子を保つための機構として、社会には儀礼が存在している。Blogosphere はまだ生まれて歴史の浅い社会で、そのような儀礼が未発達なため、どちらかと言うと「水に落ちた犬はとことん叩け」的な行動パターンが目につくが、いずれトラディショナルな社会と同様にそのような儀礼が自己組織化されると予想する。それはある種 部族社会への回帰 なのかもしれない。

