H-Yamaguchi.net の グルメでなくて本当によかった を読んで次のような疑問が頭に浮かんだ。舌の肥えた人が美味しいものを食べたときに感じる「美味しさ」と、味のわからない人がジャンクフードを食べたときに感じる「美味しさ」は、果たして「同じ」なのだろうか。
主観的な感覚である「美味しさ」など比較できるわけがない、との声もありそうだが、近年の科学技術の進歩とそれに伴っての人間観の変化は、ある種の機能的クライテリアに照らしての比較を可能としつつある。例えば fMRI や NIRS を使って脳の活動領域を調べるなど。
今年春頃には脳内のエンドルフィン分泌の観察から キスよりもチョコレートの方が脳への刺激が大きい とする研究結果も出されて話題を呼んだ。まあこれはイギリス食品業界からの資金で実施された研究だったということもあり、今後の追試や考え方そのものの入念な検証も必要だが、このような形での実証的な研究は今後も進んでいくだろう。
チョコレートの研究で興味深いのは、チョコレートが好きな女性で脳が興奮するのは直感的にも納得できるとして、さほど好きでない男性でも同じように興奮が見られた点である。これが正しいとすると、「興奮するかどうかを味の好みが律している」との見方は否定される。むしろ、「チョコレートを食べれば興奮するというのは全人類に共通する性質で、そのことを知覚できるかどうかが味の好みである」とする見方の方に説得力が出てくる。
このことから想像を広げて、次のような仮説を立ててみた。
- ある種の食べ物には脳を強く活性化させる働きがあり、その作用は人類に普遍的である。そのような食べ物を「真に美味しい食べ物」と定義しよう。脳の活性化度合いは客観的な方法で計測可能とする。
- 味覚は「真に美味しい食べ物を見分ける」ための感覚器であり、その鋭敏さは人によって異なる。
- 何を食べても美味しいという人は、実は「どの食べ物が自分の脳を活性化させられるか」を自分で見極めることができない、ということになる。
- これを文学的な表現で言い換えると次のようになる。「何を食べても美味しいという人は、何を食べても幸せなのではなく、自分が幸せかどうかを自分で判断できていないのだ」
もちろんこの仮説はわかりやすく単純化してある。実際にはもっと複雑なメカニズムとなっているかもしれない。例えば、脳の活性化度合い s は、食べ物 f の性質のみによって決まる普遍的要素 u(f) と、各人の好みによって決まる個別要素 t(p,f) の、二つの要素の和によって決まる、など。また「美味しいものを食べたときの幸せ具合は活性化作用よりも沈静作用によって測られるべき」などの意見もあるかもしれない。
しかしいずれにせよ、こういった研究が「主観的な感覚」についても今後進んでいって欲しいと私は願っている。そうすれば、舌の肥えた人と何でも美味しいと感じる人のどちらが幸せなのかという話にも、決着がつくかもしれない。


October 31st, 2007 at 12:03
とりとめがありませんが。
くだらない例ですが、テレビ(「ぷっすま」という深夜バラエティ)で、老舗寿司屋や世界的な日本人パティシエに、回転寿しや駄菓子のランキングをしてもらって、それを芸能人が当てると言うゲームをやってました。寿司は季節のさんまが一位、駄菓子はコーン味ベースなのでコーンシチュー味が一位でした。
玄人は、素人と味覚の傾向自体は同じでも、理屈があります。
ついでに思い出したのですが、ティッピングポイントの作者の近著『第一感』では、味覚の官能検査を行う玄人は味を正確に記憶して記録できる技能が大事とありましたから、そっちの専門家の協力があれば、主観だけではない比較が出来るのではないでしょうか。