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フィンランドのブロードバンド接続権

written by mara on

TechCrunch とかが伝えてる話だけど、フィンランドの国営放送 YLE が、フィンランドでは1Mbps以上の速度でネット接続する権利を2010年7月までに法制化する と報道したらしい
でもそれだけだと中身がよくわからないので、調べてみた

実はこの話は去年から出ていて、2015年までに100Mbpsで接続する権利を法制化するって話が2008年9月の Helsinki Times で報じられてる
その記事に出てくる 100Mbpsで接続する権利 が今回の 1Mbps でも踏襲されてると思うんだけど、それじゃその権利って具体的に何なのって言うと、こんな感じ

  • フィンランド国内で全ての家庭について、家から2,000m以内に100Mbps接続可能なポイントを設ける
  • ただしあまりに遠隔地過ぎる約2,000世帯はこの例外とする

2,000世帯涙目
ラップランドの先の方とかかなあ

でもまあ要は2kmおきにネットカフェを作ればOKって話だよね
1人あたり100Mbpsって話では無さそうだけど、まあそれは仕方ないか

高速道路は無料化すべきか

written by ultraviolet on

高速道路を無料化すべきかどうかは、「○○であるべき」的な倫理的価値観からのべき論よりも、定量的データを元にした制度設計論で判断するのが良いと思う。とか言いつつ今回私もデータ無しで話をするんだが、まあそこは許せ。

shi3z memo

ホントは、高速道路どこまでいっても1000円とか価格を低く固定するのは、経済学的にはバカげている。(って経済政策の先生が言ってた!)実際、トラック協会だったか、以前は高速道路料金値下げを主張していた利益団体から、料金が下がって混雑しすぎで逆に儲からなくなったせいか、苦情がきているようだ。この夏はぼくは高速道路を乗らなくていいように飛行機で北海道に行きますw
部分均衡の最適化は、その結果どうなるかよく考えてやらないといけないよ – WASSHOIの日記 – そんな博士の一日

iPhone のテザリングも同じ話だと思うんだがなあ
(via raurublock)
コモンズの悲劇
(via buru)
(via otsune)
高速道路が未だに全線有料のままのほうがおかしい
海外みたいに建設費の回収が終わった道路は無料化すべき
土日だけ値下げとか中途半端なことをするから混雑するのであって、全面値下げなら混乱も起きない

アメリカ初めとする諸外国では高速道路が無料になっていて久しく、かつ渋滞が日本ほど頻繁には発生していない。この二つの事象を因果関係として結びつけて「無料にした方が渋滞が起きない」と考えたくなるのもわからんでもない。でもそれ、たぶん違うと思うんだがなあ。

データの裏づけなく勝手な想像を書いちゃうけど、私の仮説では、日本の高速道路って(そして一般道も)、交通量と比較して絶対的に道路容量が足りてない。まあ以下のような事情があるし。
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人間を操る猫のゴロゴロ音

written by ultraviolet on

海原雄山くん(子猫) 我が家では5月から猫を飼っております。生後三ヵ月半ほどの雄猫で、名前は海原雄山くん。可愛かろうっ。
それはそれとして、Scientific AmericanNew Scientist などで猫について興味深い記事が出とります。猫(家猫)にはゴロゴロ言う声の調子で飼い主をコントロールする能力がある、つう説です。

まあコントロールするつっても「次の選挙で幸福実現党に投票しろ」とかいった洗脳ができるわけではないんですが、「猫に餌をあげたくなる」レベルの効果はあるようです。サセックス大の Karen McComb 博士が Current Biology 誌に投稿した論文によると、猫はお腹が空いてくるとゴロゴロ言う声の220-520Hzの高域成分が大きくなるんだそおです。New Scientist のサイトに掲載されてる 普通のゴロゴロ空腹時のゴロゴロ を聞き比べるとわかるんですが、空腹時の方が激しい感じ。鼻息が荒いっつうか。
んで、こっちの空腹時のゴロゴロを聞いた人は、普通のゴロゴロよりも、落ち着かず、あまり快くない気分になってしまうんだそうな。それで飼い主とかだと「猫に餌をあげないと」との考えに至ってしまうと。
興味深いことに、これは猫だけでなく人間の赤ん坊にも見られる性質だそおです。人間の赤ん坊でも、空腹時には300-600Hzの高域成分が大きくなる。赤ん坊的な立場にいる生き物に共通する生存戦略だと見られます。

オハイオ州立大の C. A. Tony Buffington 教授は、この研究について、「動物病院で猫の患畜が何を求めているか察するのに役に立つ」とコメントしています。私も今日帰ったら雄山くんのゴロゴロ音を聞き分けてみねば。

Wikipedia の報道協定

written by duke on

先週 APF などが伝えたニュースだが、昨年秋にアフガニスタンでタリバンに誘拐・監禁されていた New York Times の David Rohde 記者が、脱出して保護されたらしい。
私はこの誘拐されていたという話を全く知らなかったのでどうしたことかと驚いてよく読んでみると、この誘拐事件については New York Times 等マスメディアの間での報道協定により、報道が自粛されていた模様だ。

しかし同じ New York Times の別の記事 Keeping News of Kidnapping Off Wikipedia を読んでさらに驚いた。この記事によれば、Rohde 記者誘拐事件について Wikipedia 上でも何度かユーザによる編集として書き込まれたことがあったが、いずれも報道協定によって削除されてきたのだと言う。削除は Jimmy Wales と Wikipedia 管理者達、そしてイギリスの The Times 紙との協力によって行われた、とこの記事では述べている。New York Times の公式スポークスマンから Jimbo に対して直接報道協定の申し入れがあった模様である。

記事中で Jimbo が述べているところによれば、この誘拐事件については他のマスメディアが沈黙していたことから、「信頼できるソースが無い」ということを削除理由として処理されていた様子だ。確かに管理者としても扱いやすい状況だったと言うことだろう。
それでも記事中には管理人とユーザとのやり取りがヒートアップしていく様子が描かれており、興味深い。誘拐事件についての記述に固執するユーザもいたようで、先週 Rohde 記者脱出の報が世界を駆け巡ると、管理人に「ほら見ろ、削除は間違いだったじゃないか」との罵声が管理者に浴びせられたそうだ。Wikipedia 管理者というのも同情されてしかるべき立場かと思う。

この事件は、Web2.0的な市民ジャーナリズムと検閲との関係がなかなか一筋縄ではいかないということを改めて思い起こさせるものだと言える。CGM への報道協定の適用は、いったい誰がどのように判断してどう適用すべきなのだろうか。マスメディアはいずれ滅亡するがその後は現在のマスメディアが負っている責任をユーザ1人1人が負わねばならなくなる とは ultraviolet の指摘だが、そのような社会の到来は意外と早いのかもしれない。

参考: 「報道協定」についての Wikipedia 日本語版エントリ

著作権とフロンティア

written by duke on

一年半以上前に 著作権の歴史 と題して、イギリスでの著作権制度がどのような過程を経て成立したかを説明した。いささか時間は経ってしまったが、今回はその続きとして、アメリカで著作権制度がどのような生い立ちをたどったかについて、私の考えを書いてみる。
今さらこのようなエントリを起こす理由だが、巷で話題になっている Google Book Search について、また別の角度から眺める視点として有益ではないかと考えるためだ。

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コンテンツに付随する価値

written by duke on

P2Pとかその辺のお話@はてな の 岸さんの言うとおり!既存のコンテンツ産業から搾取するのを止めよう! で Jamendo が勧められているのを読んだ。その主旨には賛成なのだが、それと同時に我々は「何故 Jamendo の音楽がそれほど聴かれていないのか」について考える必要がある。そこに、「コンテンツ」と呼ぶものに我々が実際に何を求めているのかを考える鍵があると私は考えている。そこを考えれば、Jamendo を勧めることが何故必要かも更に深く理解できるはずだ。

以前 コンテンツの終焉 というエントリを書いたことがあるが、私は「コンテンツ自体の価値」というものをあまり高く認めていない。我々が金を払ってコンテンツを購入するとき、実はコンテンツそのものに価値を見出して金を払っているというよりも、コンテンツに付随する別のものに価値を見出している方が割合として多い。
今回は、その「コンテンツに付随する別のもの」として、効用と手間の二つを取り上げてみる。

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ゲームの面白さ

written by ultraviolet on

西尾さんの ゲームの面白さに関するブレスト に触発されて、久々に ゲームの面白さ について考えてみた。

ゲームの面白さについて考察することは私も20年以上昔からやっているのだけれど、これについて考察する人のほとんどって、「自分がゲームしてて面白いと思う箇所」についてひたすら考察を深めていくのは得意だけど、「自分には面白いと思えないが他の人によると面白いらしい箇所」について考察するのは一様に不得手だよね、てのが10年程前から感じていること。それぞれ自分の内側だけを見ての議論になって、水掛け論になりやすい。まあこれはゲームの面白さに限らず「○○の面白さ」という主観を扱う議論になると必ず出てくる問題なんだけど、でもゲームではその点が先鋭化しやすい。私がゲームについての議論から遠ざかった背景には、そういう点への反省も理由の一つにあります。
なんで今回は、羹に懲りて膾を吹くべく、この「自分に面白いと思えない箇所」について分析するに留まらず、さらにあっち側に行っちゃって、「こんなところを面白いと主張する人なんて滅多にいないし、もちろん自分にとっても面白いとは思えないんだけど、しかし行動科学的に考えるにここが面白いという結論にならざるを得ない箇所」について考えてみたいと思います。

今回サンプルとして取り上げるのは、作業 です。

世の中には作業ゲーと言う言葉があって、一般にはこれってクソゲーを構成する要素の一つと見なされてるようです。
でも思うんだけど、評価の高いゲームでも、作業的側面って意外とあるよね。クロフォード/コスティキャン的分類で言うところのパズルを解く過程でも作業って結構ある。作業的要素があっても、作業自体が楽しければスルーされて良ゲーと呼ばれ、楽しくなかった場合にだけ作業ゲーというレッテルを貼られることになる。RPGのレベル上げでも楽しく作ってあるものはレベル上げ作業自体が楽しいし。作業自体が悪い要素かって言うと、私にはそう思えないんです。

さらに昔RPGのゲームマスターやってた経験から言うと、プレイヤーに作業をさせるのって結構重要なんですよ。意思決定や知的なパズル、あるいは創造的と称されるようなアーティスティックな活動よりも、むしろ単純作業を大目に盛り込んだ方が、プレイヤーの満足度は高くなる。てのが私の実体験から学んだことです。
それが何故かってのは私も完全には理解できてないんですが、どうも「参加感」とでも言うような何かがあって、単純作業ではあっても作業すること自体が「俺ってゲームに参加してる」的な感覚を高めてくれるみたいなんです。
参加感はソロプレイでも重要ですが、多人数でゲームをプレイするときに特に影響が大きくなると認識してます。人がゲームをプレイするときって、ゲームで複雑な精神活動を発揮して楽しむてのも重要なんだけど、どうもその前に「他人と一緒のゲームをプレイしてるんだ」という実感自体が重要なんじゃないかって気がしてる。マズローの欲求段階説に当てはめて言えば、下の方にある所属欲求になるんかな。なのでここではそういうのを便宜的に低次の面白さと呼ぶことにして、もっと複雑なハードコアゲーマー好みの面白さを高次の面白さと呼ぶことにします。

んでさー、こういう「低次のところが実際には効いてくるんだよ」てな話は、私も含めてハードコアなゲーマーにはあまり好かれないんですよ。特にゲームの面白さを論じたがるゲーム論壇(そんなん本当にあるかは知らん)的な人たちには嫌われ易い。高次の面白さは実はあんまり関係無いんだよ的な結論になり易いかんね。でもそれって、イノベーションのジレンマに似た構図があるよね。

さらに言うと、ハードコアなゲーマーが高次の面白さだと認識してるような要素ってのも、実は低次の面白さを無理やり高次のフレームに当てはめて解釈してることが多かったりする。例えば一時期流行った「ゲームは創造的芸術だ」論の大半はそっちだよねえ。ゲームをポストモダンアートとして捉えてとか、つまり ywad.com の人が東浩紀のオタク論壇について言ってるような話。

ywad.com — 動物化するポストモダン
著者のもともとの目的は、仮に世の中の人を「モダン」と「ポストモダン」と「オタク」に分けたとして、「ポストモダン」と「オタク」の類似性を強調し、あるいは後者を前者の流れの中に位置づけることで、「モダン」と「ポストモダン/オタク」の二分法と、「オタク」が「ポストモダン」の正統的な後継者であるというアイデアを、「モダン」の人に納得させることなんだと思われる。なお、上に書いた私の立ち位置は(自分で書いていて恥ずかしいが)「ポストモダン」である。AさんとBさんとCさんがいて、Cさんが、自分がBさんと仲がいいことをAさんに見せつけるためにBさんと手をつないだが、Bさんは困惑しているという図式。

実はホイジンガのホモ・ルーデンスやカイヨワの四分類にも似たようなフレームがあったりせんだろか。どうしてもこういうゲーム論って「ゲームという娯楽の社会的地位を向上させたい」という論者の思いが投影されて、恣意的な議論になりがちだと思う。

まあ私もそういう「高次のゲーム的面白さ」を追及するのが大好きなハードコアゲーマーなので、「どうすれば高次の面白さを深められるか」についてテクニカルな議論を展開するのは大歓迎です。
なんだけど、おそらくゲームの面白さを掘り下げて考える上では、認知心理学的なベースが必要なんじゃないかって気が最近してるんですよ。無意識の部分も含めた人間の認知活動ってのがあって、その氷山の一角が水面上に現れて「ゲームの面白さはここだ」的な議論になる。けど水面下で動いている人間の精神活動を、詳細に把握とまでは言わなくてもベースとして押さえておかないと、実際にゲームを面白くするエンジニアリングとしては機能しないと思う。

例えば「ストーリーテリングが面白い」てのはなんか規定事実のように扱われてるけど、それは何故?
十数年前には「ストーリーテリングが芸術表現だから」みたいな言説が流行ったけど、私はそれ全然信じてなくて、それより「人間の脳にとってストーリーという認知フレームが親和性高いんじゃないか」みたいな認知心理学的な話を掘り下げる方が生産的じゃないかと見てる。

もちろん「認知しやすいゲームが楽しいゲーム」みたいな単純な話に落としこめるわけじゃあないと私も思います。難しいUIを征服するのが楽しいってゲームもあるし。けどその場合でも「自分の上達ぶりが認知できる」ようなメタ認知が重要だったりとか、やっぱり認知心理学に深く関わる話になると思うんですよ。いろいろ突くべきところはあると思う。そういう辺りを何ぞ考えてみんかね。

かく言う私は、先月から塊魂にはまっております。今週の関西旅行では、滋賀の田んぼや清水寺の観光客、神戸の港のクレーンなどを見るたびに、「これがーっと巻き込んだら気持ちいいよね」と妻と言い合っておりました。ちなみに妻は乙女ゲー好きです。

著作権による中間業者

written by duke on

POLAR BEAR BLOG の Google はなぜ強力な中間業者なのか? を読んで、本題とは少し違ったことが頭に浮かんだので、今回はそれについて書いてみる。

コンテンツの飽和により中間業者がパワーを握るという話については、2年半ほど前に コンテンツ・パッケージングの台頭 という記事の中で言及したことがある。しかし今回は、この中間業者による流通制御というアナロジーを、新聞とGoogleとの関係ではなく、他のものに適用して考えてみてはどうかというアイデアが浮かんだ。何に適用するかと言うと、著作権制度についてである。

著作権というのはコンテンツおよびコンテンツホルダを保護するための制度であると一般に信じられている。もちろん実際そのように運用されている側面もある。しかし、著作権という制度が実はコンテンツホルダではなく中間業者を保護するために使われている、という仮定から出発して世の中を眺めてみてはどうだろう。

これは決して新しい発想ではない。以前 著作権の歴史 の中で概説したように、イギリスにおける著作権制度はもともとコンテンツホルダ(書籍の執筆者)ではなく中間業者(印刷出版業者)を保護するために作られた制度である。そして同様の構図は他のコンテンツにも見てとることができる。音楽業界しかり。映画業界しかり。

この視点に立って物事を眺めてみると、著作権制度とはコンテンツの流通を独占的に制御するためのものである、ということが理解できる。映画の頒布権はまさにそのための制度であるが、他のコンテンツにおいても複製や譲渡を制限することにより実質的な流通制御が為されている。コンテンツ生成はクリエイター過剰問題があるためコモディティ化しやすいが、その場合でも中間業者としての映画会社やレコード会社は流通を強力に制御できるため利益を確保できる。

一方、P2Pファイル共有に代表される違法コピーに目を向けてみると、これがまさに既存中間業者による流通制御の独占を破壊するものだとわかる。違法コピーに対してはコンテンツクリエイターよりもレコード会社や映画会社の方が厳しい姿勢を見せているが、その理由も納得が行く。
逆にミュージシャンの中にはレコード会社の方針に反して違法コピーを許容する人もいる。これはレコード会社という中間業者を放逐したい考えなのだと解釈できる。その一方でレコード会社と対決姿勢を貫きつつも違法コピーに対しても厳しい姿勢をとる Prince のような人もいるが、これはレコード会社を駆逐した中間業者を兼任しようとしているのだと考えられるだろう。
また Google News に対しては著作権侵害で訴訟を起こした新聞社もあったが、これなどはまさしく著作権制度の正しい使用法と言えるだろう。

いずれにせよ、コンテンツ生成ではなく流通制御こそが金脈である以上、コンテンツ立国といった政策を掲げようとすればどうしても流通をコントロールするという話にならざるを得ないだろう。そこに著作権政策論議の難しさがある。ultraviolet や mara は DRM が大嫌いだが、複製のコントロール権を持ち続けることこそ中間業者がコンテンツをマネタイズする生命線であり、利用者の利便性と本質的に対立する。
それとも、著作権という方法によらずにコンテンツをマネタイズするうまい中間業者的仕組みが何か考えられるだろうか。もしそれが可能なら面白いことになるだろう。ただ、Google は広告という道で生きていくつもりのようだが、私はそれにあまり説得力を感じていない。

rel=canonical

written by ultraviolet on

HTMLヘッダ中で rel=”canonical” を指定して meta タグを記述することにより、サイト内ファイルの検索エンジンへの重複登録を防ぐことができるようになった、という話を聞いて、WordPress 用 plugin を書いてみました。

元ネタはこれ。

サイト内の重複コンテンツを防ぐ新たな手段、rel=”canonical”が登場

「SEOmoz | Canonical URL Tag – The Most Important Advancement in SEO Practices Since Sitemaps」によると、Google、Yahoo!、Live(Microsoft)の3社から「ページの標準URLを定義」して「サイト内の重複コンテンツを防止する」ための新たな手法が発表されたようです。
その方法とは、ページの head タグ内に次のような link タグを記述するという簡単なもの。

この rel=”canonical” によって、めんどくさい RewriteRule などを定義することなく、検索エンジンに対して望ましいURLを伝えることができます。

素晴らしい。しかしこれって、検索エンジンよりも Social Bookmark の方で是非とも対応して欲しいな。なんか RSS リーダから読んだとき URL に ?ref=rss とか言う馬鹿げたものをくっつけるせいでブックマークが分散してしまう、つうサイトがなんか世の中には結構あるんだけど、登録時に rel=”canonical” で正規化してもらえると嬉しい。

そういうわけで、plugin のコードですが、こんな感じ。
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マスターベーションによる前立腺癌リスク

written by nakanohito on

イギリスの Metro など各誌が一斉に、マスターベーションの回数が多い男性ほど前立腺癌にかかりやすい というニュースを報じています。これはイギリスでマスターベーションを含む性行為の回数と前立腺癌との相関を調べた研究成果が発表されたことによるようです。これが本当だとすると、この分野では マスターベーションの回数が多いほど前立腺癌にかかりにくい との先行研究もあったのですが、それと真っ向から対立するセンセーショナルなニュースですね。

ただし、BBC などの記事を読むと、もう少し穏やかと言うか、必ずしもはっきりした研究結果では無いようです。わかっているのは

  • 20~30代の間の性交渉またはマスターベーションの頻度と年をとってから前立腺癌になる確率との間に相関がある
  • 50代の性交渉またはマスターベーションの頻度は逆に前立腺癌と負の相関がある、つまりマスターベーションの多い人ほど前立腺癌にかかりにくい

ということのようです。

異性との性交渉とマスターベーションは区別されていないように見えます。おそらく性交渉かマスターベーションかを問わず、射精の頻度が重要なのだと推測されます。

また、因果関係の方向についてもわかっていません。仮に性交渉やマスターベーションをするから前立腺癌になる、という因果関係であれば、性交渉やマスターベーションを我慢することによって前立腺癌のリスクを下げられる可能性があります。ただし記事を読む限り、今回の調査を行った研究者はそうは考えていないようです。もともと前立腺癌になりやすい体質の人ほど射精への情熱が高いのではないか(男性ホルモンの量などで)、との読みのようです。その場合、マスターベーションを我慢しても体質が変わるわけではないので、前立腺癌のリスクを減らすことはできないと考えられます。

また、調査手法についても疑問の余地が無いわけでもありません。この研究では、前立腺癌にかかった人とそうでない人に対して、若い頃の性交渉やマスターベーションの回数を思い出してもらってアンケート方式で調査したとのことです。果たして記憶がどこまで正確かと言う点には疑問が残ります。ひょっとしたら、男性ホルモンの量の多い人は「俺も若い頃は凄かったんだよ」と虚勢を張りたがる、という話なのかもしれません。より明快な方法での追試が待たれます。